ことば
もともとは「うちなーぐち」と呼ばれる独自の言葉が使われていたが、「沖縄県」として日本に組み込まれて以降、学校で「うちなーぐち」の使用が禁じられるなどの歴史があったため、話せる人は少なくなってきている
・解説
15世紀から、沖縄本島に「琉球王国」が成立。中国との貿易などを通じて栄えたが、17世紀初頭に薩摩藩(いまの鹿児島県)の島津氏の侵攻を受け、その支配下に入る。明治維新後は「沖縄県」として、日本政府の直轄支配下に組み込まれ、沖縄独自のことばを禁じられるなど、厳しい文化的抑圧を受けた。
第二次世界大戦末期には、日本国土で唯一の地上戦の場となり、多くの県民が犠牲になった。敗戦後も、サンフランシスコ講和条約によって米国の統治下におかれ、1972年にようやく「復帰」が実現。しかし、米国統治時代に建設された多くの米軍基地は復帰後もそのままに残され、大きな問題を残している。
[沖縄ソバ]
沖縄で食べるものといえば、やっぱりまずはこれ。うどんとも中華麺とも違う、独特のコシのある麺と、豚骨やカツオでダシをとったスープがなんともウマイ。
上に骨付き豚バラ肉の煮込みを乗せた「ソーキソバ」も人気。薬味には、島唐辛子を泡盛に漬け込んだ「コーレーグースー」が欠かせない。
食後のデザートには、甘く煮た小豆にかき氷をかけた沖縄風「ぜんざい」が一押し。
[ゴーヤチャンプルー]
ゴーヤ(苦瓜)の炒め物。最近は沖縄の料理としてすっかり有名になった。爽やかな苦みが蒸し暑い気候にはぴったり。
「チャンプルー」はいろんな炒め物全般を指すのに使われる言葉で、ゴーヤのほか、ソーミン(素麺)チャンプルー、マミナー(もやし)チャンプルーなどもおすすめ。
[テビチ]
豚骨のことで、沖縄ではポピュラーな食材のひとつ。じっくりしょうゆ味がしみた煮込みは、周りがゼラチン質になってとろとろ。沖縄そばの上に乗せた「テビチそば」もおいしい。コラーゲンたっぷりで健康にもよし。
[島豆腐]
普通の豆腐よりもずっしりと固く、一丁が1キロ近くもあるのが、チャンプルーに欠かせない「島豆腐」。水分が少ない分、豆の味が濃く感じられておいしい。小魚の塩辛「スクガラス」を上に乗せたものはポピュラーなお酒のおつまみ。
また逆に、普通の豆腐よりもずっとやわらか〜い豆腐もある。こちらは「ゆし豆腐」といって、豆腐をつくる途中、成形する前のふわふわ状態のもの。カツオダシで汁物に仕立てたものがまたおいしい。
[タコライス]
メキシコ料理の「タコス」の具(挽肉、トマト、レタス、チーズなど)を、そのまま熱々ごはんの上に乗っけたユニークな料理。最初はちょっとびっくりしてしまう組み合わせだが、具とごはんとの相性が絶妙で、1度食べたらクセになりそうな味。
[ナーベラー]
ヘチマのこと。沖縄県以外では化粧水やスポンジの原料としてのイメージのほうが強いが、ここではしょっちゅう食卓にのぼる野菜のひとつ。豚肉や豆腐、他の野菜といっしょに味噌炒めにするのが一般的な調理法。
[泡盛]
沖縄のお酒といえばやっぱり泡盛。お米を原料に、黒麹菌で発酵させた蒸留酒で、中でも3年以上寝かせた古酒(クースー)のまろやかさはひときわ。瓶がきれいなものも多く、喜ばれるお土産になりそう。
[楽器]
クルーズ最初の寄港地。まずはここで楽器を買って、船の上で練習してみるのもいい。有名なのは三線(さんしん)だが、胡弓やエイサー太鼓なども面白い。
[琉球ガラス]
ひとつひとつが手作りの琉球ガラスは、そのカラフルさと、表面に細かなヒビや気泡が入った独特の味わいが人気。戦後、米軍によって持ち込まれたジュースやコーラの瓶を再利用することで発展した工芸品だという。泡盛とグラスをセットにしてプレゼント、なんていうのも喜ばれそう。
[紅型(びんがた)]
沖縄の伝統的な染め物として知られる紅型は、とにかくその南国らしい鮮やかな色づかいが何よりの魅力。多彩なモチーフには、花や動物、太陽など、沖縄の豊かな自然の風物が見事に取り入れられている。
かつては王族など「身分の高い人」しか着ることが許されなかったのだそう。着物や浴衣はもちろん、テーブルセンターなど小物なら、手頃なお値段で買える。
[首里城]
かつて琉球王国の都として繁栄した首里の町には、歴代の王が暮らし、政治や儀式を執り行う場だった首里城が建つ。沖縄戦の際には激戦地となって焼失したが、のちに復元され、朱色に塗り上げられた美しい姿を取り戻した。
現在は周囲が公園として整備されており、訪れる人の姿は絶えない。2000年には、すぐ近くにある、かつて国王の旅の安全を祈る場所だった園比屋武御嶽(すぬひやんうたき)、巨大な陵墓の玉陵(たまうどぅん)や、各地に残る城(グスク)群とともに世界遺産に指定された。
[平和祈念公園]
沖縄戦の際、敗色の濃くなった日本軍が「南部への撤退」を決定したことから、民間人をも巻き込んだ激戦地となった沖縄島南部。戦いで命を落とした人たちの数は、実に当時の沖縄県民の4人に1人にものぼったという。
その歴史を反映するかのように、沖縄島南部には、沖縄戦の事実を語り伝える資料館などが密集している。激しい戦闘が繰り広げられ、多くの人々が犠牲になった摩文仁(まぶに)の丘につくられたのが「平和祈念公園」。沖縄戦を生きのびた人々の証言などを集めた「平和祈念資料館」、犠牲となった人々の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」はぜひ訪れたい。
また、映画などでも名前が知られる、看護婦として従軍し、命を落としていった女子学生たちを悼む「ひめゆりの塔」とその祈念資料館も近くにある。
[牧志公設市場]
メインストリートの国際通りから少し入ったところにある第一牧志公設市場は、那覇の人たちの台所であると同時に、観光客にも人気のスポット。
色鮮やかな魚をはじめ、沖縄ならではの食材が山と並んでいて、見て歩くだけでもワクワクしてしまう。2階には食堂があって、ゴーヤチャンプルーや沖縄ソバなども食べられるし、1階で買った新鮮な魚を調理してもらうこともできる。
[寄港地担当者より]
「オキナワ」でイメージされるもの。海、ゴーヤチャンプルー、三線(さんしん)、首里城、沖縄戦、そして米軍基地。海の隣に米軍基地があり、人々の暮らしの隣にも米軍基地がある、それがオキナワというところ。おじぃやおばぁや若者たちと、泡盛を飲んで語っているうちに、「今」のオキナワ、「昔」のオキナワが見えてくる。そして、沖縄から考える「平和」は、 これからの旅で訪問する数々の国の「平和」を考えるヒントになる――だからここは、地球一周の最初の寄港地に、どこよりもふさわしい場所なのです。
すっかりポピュラーになったオキナワへの旅も、ピースボートでならもっといろいろな「顔」が見えてくるはず。食べ物、建築物、伝統文化、戦争と基地問題――いろんな角度から 「オキナワ」を知ってもらえればと思います。
(森陽子)
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