第44回ピースボート地球一周クルーズ寄港地インフォメーション
マニラ
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国名
フィリピン共和国 (Republic of the Philippines)

ことば
公用語となっているのは英語と、タガログ語をもとにしたフィリピノ語
・解説
image 16世紀半ばからスペインによる支配を受け、1899年の独立戦争後は、実質上米国の支配下に。さらに第二次世界大戦がはじまると、侵攻してきた日本軍による支配がはじまり、多くの人々が犠牲となった。
 戦後は待ち望んだ独立が実現するが、1972年からは、マルコス大統領の施政下で、約10年にもわたる戒厳令が発令。83年のベニグノ・アキノ暗殺事件をきっかけとして、結果的にマルコス退陣にまでつながった「反マルコス運動」の高まりは「ピープル・パワー」と呼ばれ、日本でも大きな注目を集めた。さらに99年には、ふたたび民衆が立ち上がってのエストラダ大統領退陣、アロヨ新政権誕生の動きがあり、「ピープル・パワー2」とも称されている。
 いっぽう、貧富の格差の大きさは深刻な社会問題のひとつ。マニラ近辺にも多くのスラム地区が点在する。また、海外への出稼ぎ者も非常に多く、日本にも大勢のフィリピン人労働者が滞在している。首都マニラはそれほど観光ポイントの多い街ではないが、そこに暮らす人たちの熱気とパワーこそが最大の「見どころ」だ。

[アドボ/Adobo]
 フィリピン風「豚の角煮」。醤油と砂糖、ニンニク、そして酢を入れて煮込む。鶏やイカなどを使ったものもあり、いずれも日本人にはとてもなじみやすい味。

[シニガン/Sinigang]
 ほのかな甘みと酸味のあるスープ。フィリピン人にとっての味噌汁ともいうべき、とってもメジャーな存在。白身魚を入れたものが一般的だが、ほかに豚、エビなどが入ったものも。

[レチョン/Litson]
 フィリピンのお祝い事には欠かせない「豚の丸焼き」。豚一頭を串刺しにして、炭火で根気よく丸焼きにするダイナミックな料理で、パーティなどによく登場する。パリパリに焼けた皮の部分がなんともおいしい。

[ハロハロ/Halo-Halo]
 「ごちゃまぜ」という意味の名前をもつフィリピン風かき氷。フルーツやナタデココ、煮豆、ウベ(紅芋)アイスなどを氷の上にいっぱいにのっけて練乳をかける。こちらの人にはトウモロコシはフルーツ感覚のようで、コーンが混じっているものもよく見かける。氷とその上のトッピングをよ〜く混ぜて食べるのが本式(?)とか。

[サンミゲル San Miguel]
 フィリピン産ビール。すっきりした味わいでとても飲みやすい。日本でもときどき見かけるが、フィリピンの暑さの中で飲んでこそ本物の味。ちなみに、たいていの店ではカチ割り氷を入れたグラスといっしょに出してくれる。最初はびっくりだが、南国の気候には妙にマッチする飲み方なのだ。

[バロンタガログ/Barong Tagalog]
 インドネシアなどでも民族衣装として着られているバティック。フィリピンでは、バナナの繊維「フシー」、パイナップルの繊維「ピーニャ」でできたバティックが有名。なかでも、「バロンタガログ」と呼ばれる長袖のものは、フィリピン男性の正装として用いられている。堅苦しいスーツにネクタイなんかより、蒸し暑いアジアの夏にはピッタリ。

[イントラムロス/Intramuros]
 マニラ地区に残る、スペイン統治時代のおもかげをとどめる城塞都市。スペイン人が本拠地として築いたもので、当時はスペインの血をひく人間しか住むことを許されなかったという。第二次世界大戦中の爆撃で城壁の中も多くが破壊され、そのまま残る建物はサン・オウガスチン教会のみとなったものの、石畳が続く街並みは、その当時のようすを思い起こさせてくれる。

[リサール公園/Rizal Park]
 マニラ市民の憩いの場となっている広大な公園。その名称は、スペインの圧政に反対する小説などを発表して、独立運動の精神的指導者の役割を果たした「フィリピン建国の志士」ホセ・リサールに由来している。彼は、1896年に植民政府によって捕らえられ、「国家反逆者」として処刑された。現在、公園内には彼を記念する碑が建てられている。
[寄港地担当者より]
 フィリピンの人たちは、世界で一番人なつっこくて、付き合ってて面白い、ってのが僕の持論です。特に、スラムって言われるような地域に住んでいる人たちはほんとに最高。決して経済的にも楽じゃない、むしろ悲観的ともいえる状況の中でも、すごく一生懸命に生きてる人たちです。
 だから、マニラでは、ぜひ現地の人たちとの交流を体験してほしいです。「できあがった」モノじゃなく、現地の人たちと一緒に作っていけるような交流。そんなプログラムを企画しています。期待しててください!
(志村洋一)

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