国名
チリ共和国 (Republic of Chile)
ことば
ラパヌイ語、スペイン語
・解説
4〜5世紀、ポリネシアの島々からやってきた人々が定住。12世紀を最盛期として、モアイ作りがおこなわれた。が、19世紀ごろのヨーロッパ人の報告によれば、「島のモアイの大半はそのとき地に倒れていた」とあり、詳細は不明ながら、島で何らかの争いが起こり、その結果としてモアイが倒されたのではないかといわれる。
ヨーロッパ社会との接触は18世紀から。19世紀には、アメリカ、ペルーなどの船団が島民をさらい、そこから蔓延した伝染病のため島の人口が激減するなどの事件が起こっている。1888年、チリによって併合され、現在までチリ領。
[刺身]
ハンガロアの町から船着き場に通じる道沿いにいくつかレストランがあるが、ほとんどの店で刺身がメニューにある。もちろん新鮮なので味もなかなかのもの。
マグロのほか、白身魚もあって、なんと醤油やワサビも用意されている。焼き魚も美味しい。
[モアイグッズ]
イースター島のみやげといったらこれしかないでしょう。石を削ってつくったモアイが15米ドルくらいから。かなり大きなものもある。キーホルダーは3〜5ドルくらいで買える。ほかには、ポストカード、ピアス、ネックレスなど。土産物屋、港近くの露店で買えるが、店によってかなり値段が違う。
[コハウ・ロンゴロンゴ]
ロンゴロンゴとは、かつてイースター島の人々が使っていた絵文字のこと。木の板や棒に尖った黒曜石で刻み付けられたといわれ、動物、天体などが記号化されて表されている。しかし、現在はこれを読める人は島にもひとりもおらず、解読はいまだなされていない。
このロンゴロンゴを刻んだ木の板が「コハウ・ロンゴロンゴ」。ホンモノは世界中で20枚ほどしか残されていないが、島に行くとレプリカがお土産として売られている。解読にチャレンジしてみるのも、また楽しい。
[ラノ・ララク/Rano Raraku]
すべてのモアイはかつてここから切り出されたといわれる、いわばモアイの工場跡。
海に面した広大な山の斜面に、顔だけ出ているもの、ほぼ全体ができていてあとは岩から切り離すだけのものなど、作りかけと思われるモアイがいくつも点在している。その数はざっと390。これを作っていた人たちは、突然すべてを放り出して、いったいどこへ、なぜ立ち去ってしまったのか…、さまざまな空想をかき立ててくれる場所だ。
島最大のモアイ「ピロピロ」など、見どころは多いが、実はいちばん人気は「正座したモアイ」。山の中腹に設置された、珍しい「座っているモアイ」なのだ。顔などもほかのものよりずんぐりしていて、比較的時代の古いものではないかといわれている。
[アナケナビーチ/Anakena]
白砂の入り江とココヤシの林が美しい、穏やかに波が打ち寄せる海岸で、地元の人たちにも人気の高い場所。ここには7体のモアイが台座の上に、元あった姿どおりに立てられている。サンゴと赤い石で作られた「モアイの目」はここから発見され、現在は島内の博物館に収められている。すぐ近くには 『コンティキ号探検記』 の著者ヘイエルダールが復元したという、「ホツマツア王のモアイも(ホツマツアはイースター島を最初に統治したと言われる伝説の王)。
ちなみに、ここのココヤシはなぜかわざわざ島外から運ばれて移植されたものなのだとか。モアイとココヤシ、という組み合わせはなかなかヘンで、ちょっと笑える光景でもある。
[アフ・トンガリキ/Ahu Tongariki]
島の南西、ラノ・ララクの近く、15体のモアイがずらりと並ぶポイント。「アフ」はモアイが建てられている石の祭壇、「トンガリキ」は「王の港」を意味する。今ではその迫力ある姿が写真などで有名だが、かつてはほかの場所と同じように、モアイたちはすべて倒された状態にあった。さらに1960年、チリ沖大地震による津波で、アフを組んでいた石などが流出。周囲は廃墟のようになってしまった。
「クレーンさえあれば、このモアイたちをもとのように起こせるのに…」。島の人たちの嘆きをテレビで聞いていたのが、日本の大手クレーン会社「タダノ」の社員だった。「タダノ」の協力を得て、92年、チリと日本の合同プロジェクト「モアイ修復委員会」が成立。約3年をかけてアフを復元し、15体のモアイを立てることに成功した。
ちなみに、1970年にはるばる日本まで運ばれ、大阪・万国博覧会で展示されていたモアイが、このすぐそばに1体だけぽつんと立っている。
[オロンゴ岬/Orongo]
島内唯一の水源となっている、ラノ・カウ火山のカルデラ湖と雄大な太平洋に挟まれた岬。その昔、3 つの岩礁に向けて島の若者が泳いで競争するという「鳥人祭」がおこなわれていた聖地だ。晴れた日のここからの眺めは、息を呑むほどの美しさ。時には島の人たちがピクニック(?)にやってくる姿も見られる。
鳥人や神の姿をえがいた岩絵がはっきりと残る住居跡も必見ポイント。
[寄港地担当者より]
位置的には思いっきりポリネシア、でもそこで話されているのはスペイン語。古くはスペインやペルーの支配を受け、そして19世紀からはチリ領とされたこの島には、ラテンとポリネシアの融合によって生まれた、独特の「イースター文化」が根づいています。
ノルウェー人探検家のヘイエルダールが、「太平洋文化の紀元は南米にある」ことを証明しようと、コンティキ号でたどり着いたのも、イースター島と同じポリネシアの島でした。島のあちこちに点在するモアイたちと向かい合って、そのロマンに思いをはせてみてはいかがでしょうか。
(山本隆)
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