国名
アルゼンチン共和国 (Argentine Republic)
ことば
スペイン語
・解説
16世紀からスペインの支配下に。18世紀末から、クリオージョと呼ばれる現地生まれスペイン人を中心に「独立」への動きが始まる。1810年、「本国」スペインがフランスに占領されたことを受け、ブエノスアイレスで「独立」宣言がなされた(五月革命)。1816年には正式独立。19世紀末、ヨーロッパでの人口過剰と、移民受け入れの政策を受けて、スペイン、イタリアなどからの移民が大量移入する。
20世紀に入ってからは、クーデターや軍政と民政が繰り返される政情不安の時代が続い た。1976年からの軍政時代には、多くの罪なき人々が「反体制派」として処刑、もしくは行方不明となった。1983年、ようやく民政移管が成ったものの、当時政府に連行され、今 も生死すら不明のままの人々は数多く、遺族らによる抗議行動が続けられている。
南米の中では比較的落ち着いた経済状態にあるとされ、IMF(国際通貨基金)の優等生ともいわれてきたが、2001年に政府が対外債務の支払い停止を宣言、経済破綻状態に陥った。
[アサード/Asado]
これぞアルゼンチン、といった感じの巨大ステーキ。街を歩いてみれば、いたるところで「ASADO」と書いた看板に出会えるはず。もともとはアルゼンチンのカウボーイ、ガウチョたちが食べていた料理だとかで、皿からはみ出んばかりの肉が焼かれて運ばれてくる。
アルゼンチンを昔から知る人に言わせれば、「昔はもっと大きかった」そうだが…。味の方も上々なので、一度は食べておきたい。
また、さまざまな部位の肉を盛り合わせたものはパリジャーダ(Parillada)と呼ばれる。チキン、チョリソなどのソーセージのほか、レバーなどの内臓が盛り合わされてくることも。とにかくボリュームたっぷりで、ビールやワインが進んでしまいそう。
[エンパナーダ/Enpanadas]
チリやメキシコでもよく食べられている代表的スナック。いわゆるミートパイで、挽肉にトウモロコシが入っているもの、レーズンが入っているものなどお店によってさまざま。
ひとつ1ペソくらいでどこにでも売っているし、2、3 個食べればおなか一杯になれるので、安いランチにぴったり。
[アルファフォーレス/Alfajores]
アルゼンチンではとってもポピュラーなお菓子。直径10センチくらいの丸形ビスケットやクッキーに、ドゥルセ・デ・レーチェと呼ばれる甘い練乳やフルーツジャムなどをサンドし、その外側をチョコレートやココナッツでコーティングしたもの。
スーパーマーケットなどでも買えるほか、喫茶店でコーヒーのお茶うけとして運ばれてくる場合もある。
ちなみにこのドゥルセ・デ・レーチェは、アルゼンチンのお菓子には欠かせないものらしく、ケーキの間に挟んであったり、アイスクリームのフレーバーのひとつになっていたりもする。
[パステル・デ・パパス/Pastel de Papas]
マッシュしたポテトに挽肉を包んで焼いたもの。あっさりしていて美味しい人気スナック。
[マテ茶/Mate]
もともとはガウチョたちが飲んでいたお茶。日本の緑茶のような感じで、あっさりとしていて飲みやすい。ビタミンも豊富。
レストランなどで出てくるというよりは、家でそれぞれ淹れて飲むものなので、茶葉と専用の容器、ボンビージャという銀色のストローを買って帰ってみよう。容器もいろいろデザインがあってなかなかカワイイ。
[タンゴのCD、テープ]
ブエノスアイレスのCD屋は、どこにいっても「タンゴコーナー」があってとっても充実。日本では手に入らないものも多いので、ぜひ覗いてみたい。タンゴハウスでも販売している場合があるようだ。
[皮製品]
畜産国だけあって、小物や洋服などの革製品は充実している。買い物のメッカ、フロリダ通りに革製品を扱う店が並んでいるので覗いてみよう。
[ボカ地区とカミニート/Caminito]
かつてアルゼンチン随一の港だったボカ港の周辺には、ヨーロッパから夢を求めてやってきた移民たちが集う港町ができた。彼らは安酒場に集い、異国での貧しい生活のうっぷんを晴らすかのように歌い、踊った。その望郷の音楽が、アルゼンチンタンゴの始まりだと言われる。
この「タンゴ発祥の地」ボカ地区には、画家キンケラ・マルティンが始めた路地公園、カミニート(小径)がある。道に並ぶ家々の壁や屋根が原色で大胆にペインティングされたそこは、さながら美術館のよう。観光客のほか、自作の絵を売りに集まる絵描きの卵たちの姿も絶えない。
[五月広場/Plaza de Mayo]
大統領府と大聖堂に面して立つ、街の中心的存在となっている広場。大統領就任、デモ、集会と、何かがあるごとに人々はここに集まり、喜びや悲しみを分かち合ってきた。「五月広場」の名称は、1810年にアルゼンチンがスペインの圧政から脱して独立した「五月革命」に由来する。独立宣言も、この広場に面して立つ、当時の行政機関だった「カビルド」という建物でおこなわれた。
[レコレタ墓地/Cementerios Recoleta]
ブエノスアイレス最古といわれ、その芸術性でも世界的に有名な墓地。伝統的な装飾が施された納骨堂がずらりと並ぶ。
あたりはブエノスアイレスいちの高級地区で、おしゃれなレストランやブティックが軒を並べている。その中に位置するレコレタ墓地もまた、「最高級墓地」といえるだろう。
歴代大統領13人をはじめ、有名人の墓も多いが、なかでも元大統領ペロン夫人、エビータが眠る黒御影石の納骨堂の前には、1年中花が絶えないという。
[寄港地担当者より]
ヨーロッパ風の街並みが続き、「南米のパリ」と言われるブエノスアイレス。街を歩いていても、ヨーロッパにいるような感覚になることがしばしば。タンゴショー、コロン劇場、分厚い牛肉のステーキ(アサード)、特産品の皮製品…見たいものや買いたいものもいっぱいです。
一方、2000年12月の経済危機に伴って起こった、「暴動」の映像は記憶にも新しいところ。町中では今でも、政府に生活改善を求めるデモや、銀行に口座を凍結されてしまった人々が銀行の前でお鍋をたたいて返金を求めるデモが行われています。滞在中に、そんな市民の姿も目にするかもしれません。「きれいな街」だけで終わって欲しくない、人々の闘いを感じ取って欲しい、そんな「今」のブエノスアイレスです。
(渡辺久実)
44回クルーズレポートトップへ