7月24日 なぜ米国はイラク戦争を始めたのか?/アンドレアス・ズマッフ(ジャーナリスト)
ピレウスから乗船された水先案内人、ジャーナリストのアンドレアス・ズマッフさん。中東問題・国連の活動にも詳しいズマッフさんには「なぜイラク戦争が起こったのか?」についてお話いただきました。
「公式な理由としては、イラクの大量破壊兵器の保有をしている疑惑のせいでした。が、いまも兵器の存在は明らかになっていません。イラクは残虐な独裁政権で人権が侵害されているから、フセイン政権を倒すことでイラクを民主化するんだ、という理由も掲げられましたが、本当の理由は別にあります。
イラクは世界第二位の産油国。原油の取り扱い通貨が世界経済の中心的な力を持つのが現状です。フセインが原油の価格をつりあげようとし、かつ取り扱い通貨をドルからユーロに変えようとしたことが最大の問題だったのです。」
(高橋典靖)
7月24日 ボスニア終戦後8年たった今/ヤスミナ・オパルディア(IS)
IS(国際学生)として乗船しているボスニア出身のヤスミナ。90年代初頭におこった旧ユーゴスラビアの内戦「その後」について、そして現在起こっている問題を語ってくれた。
「1992年、市民たちはまさか戦争が起こるなど予想していませんでした。争いが起こったときにも、これは一時的なものと思われていたくらいです。
ボスニアの首都・サラエボは、1000日以上セルビア軍によって包囲され、人口の5.9パーセントにもなる25万人もの人々が亡くなりました。また、人口の50パーセントが戦前住んでいた家を追われ、120万もの人々が難民となりました。彼ら難民は、家を破壊されていたり、地雷が埋まっていたりという現実の中、なかなか家に帰ることもできません。
さらに、難民として国外へ移民していくほとんどの人は『知識人』なので、彼らが出て行くことによる『頭脳流出』も、目下の問題です。何か貢献したいという若者たちがいても、政府のサポートも足りないため、選挙の投票率も悪く若者たちも受け身になってしまい、彼らの多くが一刻も早く海外へ出たいと思うようになっています。また、ボスニアにはNATO軍が使用した劣化ウラン弾による放射能汚染地域が8つもあり、地雷による被害も多く報告されています。」
(徳満理恵)
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