第40回ピースボート地球一周クルーズレポート
香港

国名
中華人民共和国 (People's Republic of China )

ことば
一般に話されているのは広東語と北京語、 英語もひろく通じる。  
--解説--
 19世紀、アヘン戦争などで中国に勝利した英国の植民地に。1941年には、アジア太平洋戦争の勃発とともに日本の植民地支配下におかれ、3年8カ月にわたる軍政統治を受けた。
 戦後はふたたび英国の支配下に。特に1960年代からは、中国「本土」とは異なる「香港人」としての意識形成が進んだ。1997年、実に約150年ぶりの中国への「返還」が実現、香港特別行政区が設定される。外交と国防以外は香港市民による自治が保障されるという「香港基本法」に基づいて、「一国両制」が謳われたが、返還から5年を経たいま、「言論の自由が制限されつつある」「実態は北京の政府による支配だ」などとする声も強くなっている。

経済特区深センをゆく
 香港から陸続きで「国境」を越えて「経済特区」深センへ。「経済特区」は中国全土に5つあり、市場経済の導入や、外資企業には土地使用料を軽減すること・解雇を含めた雇用関係を自由に決定できることなどが定められている。
 その中でも深センは、1980年、初めて経済特区に選ばれた都市。それまで農村だったところに、IT産業を中心とした企業が続々進出し、次々と高層ビルが建てられた。いわば「経済開放の窓口」になった深センでは、若い高学歴のビジネスマンが増えていく一方で、低賃金・長時間労働で働く工場労働者もいるという。私たちは、24時間制で稼働する部品工場、そしていま急成長中のIT企業のふたつを訪ね、そこで働く人たちと交流。それは、アジアにおける「グローバリゼーション」について考えるきっかけとなった。

GETチャレンジプログラム
 現地の人と交流することで「生きた」英語を学ぼうという『GET(グローバルイングリッシュトレーニング)』。初めてのチャレンジプログラムが香港でおこなわれた。
 内容は、それぞれのグループにクイズが与えられ、答えを探して現地の学生たちと香港の街を歩き回るというもの。自分のグループに与えられた問題は「ヒルサイド・エスカレーターの全長は何メートル?」。パートナーはもちろん、英語がペラペラだったけれど、自分は単語を並べただけのつたない英語がほとんど…。それでも筆談やジェスチャーでコミュニケーションをとり、なんとか課題をクリアすることができた。
 結局、思っていることの半分も伝わらなかったが、お互いの気持ちは伝わった気がした。メールアドレスを交換し、笑顔で握手を交わすと涙が出そうになった。今度彼らに会うときには、もっと話せるようになっていたい。
(飯田俊介)

香港自由行動
 ここは「ネイザンロード」。看板工事をしている男性の足場が、なんと細い「竹」で組まれているのを見た。なんと、香港島では高層マンションの工事現場も竹で組まれているのを発見!細い竹では危険じゃないの?と思い、船に帰ってから水先案内人の和仁さんに質問してみた。
  「香港は地震がほとんどないんです。だから高層ビルでも平気で足場を竹で組むんです」とのこと。なるほど、安全なんですね。でも、首が痛くなるような高さのビルの工事現場。この竹に、あなたは登る?
(田村和美)

基本法改正反対デモ
 1997年、中国への返還と同時に香港の憲法として制定された「基本法」。この法律は、当初、香港の「高度の自治」を保障するものだった。しかし最近、この内容を変えようという動きがある。新しく定められることになった「基本法」では、言論・思想・集会・報道などの自由が著しく制限される内容になっている、と、香港の人権活動家や学生たちを中心として反対の声があがっている。また、この香港での動きは国際社会でも注目されており、ヨーロッパや北米でも同様の反対アピールがおこなわれているという。
 そして「12月15日、香港最大の繁華街・ビクトリアピークで、市民が改定反対のデモを実施する」という知らせを受け、ちょうどその日に香港に寄港したピースボートからも、約50名がこのデモに参加。香港の市民たち約7000名が集まる中、ピースボートは「NO FREEDOM NO SECURITY(自由なくして安全なし)」というバナーを手に歩きとおした。また、ピースボートスタッフの中原大弐は、マスコミのインタビューに対し「国際社会の一員として、基本的人権を奪おうとしている政府には、私たちも声をあげていくんだと示すために、私たちはここにきました」とコメントした。
 返還から5年たち、どんどん新しい局面を迎えている香港。しかし、このデモに参加することで、そんな香港の熱い「市民パワー」も感じることができた。

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