10月9日 中東和平の歴史・98年〜02年
/アミッド・マシア(イスラエル人・良心的兵役拒否者)
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もとイスラエル陸軍で、現在は「兵役拒否」の運動をしているというアミッド・マシアさんによる『中東和平の歴史』では、イスラエル・パレスチナ関連の最終講座ということもあり、多くの人が真剣に耳を傾けた。
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「1987年、インティファーダ(パレスチナ人によるイスラエルへの抵抗運動)が頻繁になった頃、私はそれがなぜ起こるのか分かりませんでした。その2年後、私は軍に入りましたが、兵役に誇りをもっていた私には、なぜパレスチナの人々が私たちを憎むのかもわからなかったのです。
'92年、ラビン首相とペレス外相は、軍事的優位だけでは自国を守れないという考えのもと、敵対関係をなくしていこうとしていました。そして'93年『イスラエル国土の約20%をパレスチナ国土とし、2年後に独立選挙を行う』という『オスロ合意』に調印したのです。しかしその一方で右派による抵抗もあり、結局ラビンは暗殺されました。その時私は、暗殺への責任感で罪深い気持ちになりました。
この後、和平交渉は一時停滞したものの、99年にはふたたび和平推進派のバラクが首相になり、翌年米国で、クリントン米大統領、バラク首相、PLOのアラファト議長による会談が行われました。しかし、ここで出された提案は、パレスチナにとって納得できるものではなく、交渉は合意には至りませんでした。パレスチナもイスラエルも、お互いに平和を望んでいるのです。にもかかわらず、和平交渉がうまくいかないのをお互いに相手のせいだと思い、すれ違っています。私はこのことを多くの人に話していきたい。そして、同じ思いを抱いているパレスチナの人たちと一緒に和平に向けて働きかけていきたいと思っています。」
(小松美香)
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