5月4日
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火山と共に生きるラバウル/メリー・パイプ(前ラバウル市長)
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毎日轟音とともに灰色の噴煙を上げるタヴルヴル火山。1994年の噴火の傷跡を今なお残すラバウルから乗船していただいた元市長のメリーさん。火山の歴史や噴火した際の経験をお話ししていただきました。
「1994年の噴火は火山観測所で予測されていました。噴火の3日前、大きな地震があり、人々は噴火を危惧しましたが、政府は正式な発表はせず『今いる場所に残り、パニックにならないように』と繰り返すばかり。私の家族はタヴルヴル火山の近くに住んでおり、この土地に住む人は過去の経験から火山の噴火を予測していたのです。
18日の夜、何10kmにも渡る道のりをひたすら歩いて避難しました。そして19日の早朝6時、タヴルヴル火山は音もなく煙をまっすぐつきだして噴火したのです。そして1時間後、続いてバルカン火山が噴火し大量の灰をまき散らしました。『安全なところに住むように』とういうだけで政府は何にもしてくれず、赤十字や外国からの援助を受け避難生活を送ることになりました。
私達はより良い土地、より良い生活を求めています。どうしたら得られるのでしょうか?ラバウルは将来も噴火が続くと言われており、だからこそ放っておくことができず、今でも私はラバウルで暮らしているのです。」
(真家)
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まんだら屋最終日
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98年にピースボートが企画した24回目のクルーズ以来、クルーズ業界唯一の洋上屋台として人気を集めてきた「まんだら屋」。ラーメン、たこ焼き、酎ハイに日本酒などなど、様々なメーニューで多くの参加者に愛されてきましたが、今回のクルーズを最後に、惜しまれつつその幕を閉じることに(33回クルーズからは新装屋台がOPEN!)。
午前3時。田中店長の「カンパーイ!!」の声と共に始まったのは盛大なビールかけ。毎晩変わらず味わえた懐かしい日本の味、そして何よりお酒を囲んで過ごした仲間たちとの楽しい時間。全てはまんだら屋があったから。そんなまんだら屋との別れを惜しみ、いつからかビールをかけあう姿は感極まって、涙を流し抱き合う姿に…。ちなみに今日の営業時間、お客さんがいなくなるまで。そして2001年5月5日早朝、まんだら屋は洋上での歴史に幕を閉じたのでした。アリガトウ、まんだら屋さん。
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船内ニュース
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今日の海と空
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