1月22日・23日  ▼ホイアンとチャム王国
5世紀ごろから1,000年近くにわたってインドシナに版図を広げてきたチャム(チャンパ)王国。その栄華を誇るミーソン遺跡や、日本が鎖国に入る直前に栄えた御朱印船時代の貿易港、ホイアンを訪ねる歴史見聞コース。いずれも1999年には世界遺産に登録された。
また、孤児や障害を持った子供たちが共同生活する施設「希望の村」にも訪問。子供たちの笑顔と悠久の歴史を感じた充実の2日間となった。
15〜19世紀にかけて東南アジアの貿易港として栄えたホイアン。その昔には、フェイフォという名で親しまれ、南洋日本人町のひとつでもあった。写真の「来遠橋」は旧日本人街にあって別名「日本橋」と呼ばれている。しかし、建築方法は日本のそれとはずいぶんちがい、中国、そしてわずかではあるが西洋の様式までも混在している。この港町が、商業の中心、また文化の交流の地であったことが容易に想像できた。
また、橋の形状から「『日本橋』なんて呼ばれているけど、ベトナム版の『マディソン郡の橋』みたいね」といった感想も。
ダナン郊外にある「希望の村」は、1993年に映画『天と地』の原作者、レ・リ・ヘイスリップさんの呼びかけによって設立された施設。孤児や生活が困難な家庭の子供たち180人が共同生活している。運営資金の大半は、諸外国からの個人の寄付によってまかなわれており、日本にもたくさんの経済的里親がおられるとのこと。
テト(旧正月)と重なったため、年に一度だけ自宅に帰っている子供たちが多かったが、日本の琴のような民族楽器の演奏や歌で歓迎してくれた。その後は子供たちに手を引かれながらの施設内めぐり。言葉はわからなくても、紙風船やシャボン玉で一緒に遊んだりと、それぞれに楽しい時間を過ごすことが出来た。
バスの窓から覗く青く澄み切った空と段々畑の風景は、昔の日本を思い起こさせてくれる。ところが途中から道の状態が悪いため、大型バスからジープやマイクロバスに乗り換え、その後約20分間炎天下の中を歩くことに。「なんでこんなへんぴな山奥に造ったの〜?」と、なかば嫌気がさす思いをしたのもつかの間、ごらんの通りの遺跡がひっそりと山中にたたずんでいた。
ベトナム戦争の際にアメリカ軍による爆撃を受け破壊された遺跡もあるというが、8〜13世紀の間に造られたチャンパ王国の聖地であった遺跡を、それもほとんど手つかずの状態で見ることができた。たっぷり汗も流しただけに、お昼のビールは格別の味だったのでは?
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