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▼『昭南島』そしてアジア文化の十字路シンガポール/野平晋作(ピースボートスタッフ)▼ |
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「『昭南島』という名前を聞いたことがありますか? かつて日本軍がシン
ガポールを占領したときに、日本が付けたシンガポールの呼び名です。」と語り始めた野平は、まず、シンガポール、そして、マレー半島への日本の侵略の歴史について解説した。
「『太平洋戦争は1941年のパールハーバーから始まった』といわれます。し かし、その同じ日、12月8日、パールハーバー攻撃より少し前に、日本軍はマレー半島に上陸を開始しています。ですから、『太平洋戦争の始まりは
パールハーバー』と言うのは、アジアに対しての意識が不足しているからだ と考えます」。さらに、当時の日本国内が、シンガポール占領についてどれ
ほどお祭り騒ぎをしたかについて、当時の新聞を例にあげて説明した。 |
そして、1942年の2月21日から23日にかけて、日本軍がシンガポールで「大検証」と称して「抗日分子の洗い出し」を行い、最終的に数万人もの在住華人を虐殺したという事件や、有名なラッフルズホテルのすぐそばにある『血債の塔(日本占領時期死難人民記念碑)』、マーライオンのすぐ近くにある
『林謀盛(日本軍により獄死させられた抗日活動家)の碑』について触れ、 「シンガポールを訪れるなら、こういった所も知っていたほうがいいでしょ
う。シンガポールの人たちは、日本人の前では、あまりこういったことに触 れたがりません。しかし、だからといって、彼らが過去の体験を忘れたわけではありません。本当に打ち解けてきたときなどにやっと本音を話してくれたりします。」と語った。
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