10月8日  ▼誰が戦争の犠牲者か〜エチオピアとの和解を目指す人々〜
/アスマロム・レゲッセ(平和学者)
エチオピアとの国境紛争時、エリトリア国内で戦争反対を訴えていた平和学者のアスマロンさんを迎え、エリトリアの歴史、そして戦争の犠牲となった市民やそれらに対する支援の様子、またアフリカ文化圏ならではなの平和に対するアプローチ法についてお話ししていただきました。
「原告と被告、勝つ側と負ける側が存在するのが西側諸国でいうところの『正義』です。
ところがアフリカ的考えにおいては、どちらが悪いか良いかではなく、互いは平等であるという前提のもと、時間をかけ話し合うことで、双方が協調し勝利者となることができるのです。
『正義』を決める国際的な機関としては国際司法裁判所などが挙げられます。しかし、アフリカ的に長い時間をかけ、両者が協調の道をたどることで解決策を探るための機関は不完備であり、現在はそれを定着させるのが困難な状況にあります。これは夢かもしれません、しかし私は国際司法裁判所に、法律に基づく解決と交渉を通して解決する2方式が取り入れられることを望んでいます。」
なぜなにベジタリアン/ハナ・ヨンゲピアー(ピースボートスタッフ)
オフィール・フュールスタイン(国際奨学生)
ブヴァナ・ラトハクリシュナン(コミュニケーション・コーディネーター)
一口にベジタリアンといっても、「肉だけを食べない」「肉だけでなく乳製品や加工食品も一切ダメ」などなど、細かなカテゴリーがあることをご存じですか?
昼食時、多くの人がレストランで思い思いに料理を皿に取り分ける中、黒塗りのランチボックスを前に食事を始める姿。それこそ「ベジタリアン」の方の食事風景だったのです。「自分が何を食べているか知ることが大切」、そう締めくくった3人のお話を紹介します。
ハナ:「私は5年前にベジタリアン食を始めました。一番の理由は、どんな生物にも生きる権利があるということです。動物を殺したくありません。
ハンバーガー1個分の牛肉の為に、20平方mのアマゾンの森林地帯が失われていくということも知りました。1頭の牛を育てるのに、それだけの土地が必要なんです。その土地で穀物を栽培したならば、30個ものおにぎりが作れるのです。
ベジタリアン食は、飢餓の問題とも密接に関わっています。」

オフィール:「僕がベジタリアンになったのは9歳の時ですが、家族は肉も魚も食べていましたから、それは簡単なことではありませんでした。しかし、動物と人間の命の大切さに違いはない、そう考えた僕はそれでもベジタリアンであることを選択しました。
後になって、環境保護や飢餓の問題についても考えるようになりました。」

ブヴァナ:「両親がベジタリアンでしたから、子供の時から肉魚は食べたことがありませんでした。ヒンズーの教えもありましたし、自然な形でベジタリアンになっていました。
日本にやってきて、豊富な食材と何でも食べられる状況になって初めて、ベジタリアンとは何だろうという自らの問いに直面したんです。そこから色んなことを学び始めて、本当の意味で、自分の意志で、改めてベジタリアンを選択しました。」
(村松)
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