3月6〜10日 ▼「虹の国」南アを作る人たち
「地球大学」カリキュラムの一環として実施されたツアー。ケープタウンでいったん下船。空路と陸路をつかって、アパルトヘイト時代の足跡をたどり、新生南アのエネルギーを感じ、ナミビアで再乗船する行程。1990年にアパルトヘイトが撤廃されてから11年、「虹の国」南アフリカはどのような方向へ進もうとしているのか? 白人による差別に怒りと怯えをもって暮らしてきた黒人たちの生活はどのように変化したのか? 自分たちのの眼で確かめてきた。
かつてネルソン・マンデラ前大統領も投獄されていたポールスモア刑務所を水先案内人のジョアンナさんとともに訪れた。施設の収容定員は1600人であるにも関わらず、現在約3500人が収容されており、その様子はまさに「すし詰め状態」。そのほとんどがギャングで、今なお裁判を受けることなく拘留されているという。新しい国づくりが追いついていない現状を目の当たりにすることになった。
しかし、ジョアンナさんらのNGOが、この刑務所内で「非暴力トレーニング」を実践しているというから、日本の留置所にくらべて格段に「進んでいる」ことも痛感。その様子は、トレーニングの影響を受けた人が、“Things do not change. We change.”(物事は変わらない。我々が変えるのだ。)といった文字を壁に書き込んでいたことからも伺い知ることができた。しかも、なかには“Welcome Peace Boat"なんて文字も。
南アフリカは三権分立を「首都」のありかでも表している。プレトリアは行政、ブルームフォンテインは司法、そしてケープタウンが立法というふうに。しかも経済の中心はヨハネスブルグ。ここでは、立法の府となっているケープタウンの国会議事堂を訪問。11もある公用語での議事運営のルールなどユニークなシステムについて職員から説明を受けた。そして、現職の国会議員とも会談し、南アフリカの現状やこれからの展望について語り合う機会も持つことができた。
翌朝、飛行機でヨハネスブルグに移動。水先案内人ビクター・マトムさん、津山直子さんとともに、その近郊に広がる南ア最大の旧黒人居住区ソウェトのパワーパークへ。マトムさんがプロの写真家としての活動の他にもう一つ行っているのが、この居住区での写真教室。タウンシップ中の子供たちが大勢集まり、カメラを手渡しするのも一苦労。
夜は旧「白人居住区」内にあるB&B(日本でいう民宿のようなもの)で、コンゴやルワンダ、スーダンなど、近隣の国々から紛争を逃れてやってきた難民たちとともにディナーを囲んだ。彼らは現在、津山さんがスタッフをつとめる日本のNGO、JVC(日本国際ボランティアセンター)の奨学生として学校に通っている。
そのうちの1人、パスカル君は、母国スーダンからウガンダなどを経て、南アへやってきたという。「まともな教育も受けていない難民を雇ってくれる職場は南アにはなかった。私に教育を受けるチャンスを与えてくれたJVCに心から感謝しています」と語ってくれた。
世界一の深さ(地下約3500m)を誇るドリーフォンテイン金鉱へ。全員に用意された「つなぎ」の作業服に着替えて(なんと下着も脱ぐ!)、労働者と一緒に地底の採掘現場を見学。アパルトヘイト時代の影響は強く、金鉱の中に入って作業をするのは、いまもってほぼ全員が黒人。その宿舎も一つの部屋に9人が生活しているなど、労働条件は未だに過酷なものであった。
JVCも支援している障害児施設「テボゴ心身障害者センター」で子どもたちと交流。このセンターの運営は、地域のボランティアたちによって行われているという。代表者のピンキーさんは、自分の子どもがアパルトヘイト時代、警察から受けた暴力によって脳障害を持ってしまったことをきっかけに、この活動に加わった。親のいない子供たちはセンターのプレハブで生活しているが、「トタンの家では暑すぎて脳に障害がある子供の体には良くない。当面の課題は新しい寝室を確保すること」だという。
ソウェトの中でも最も貧しいと言われるジョースロボ・スコッターキャンプ。マトムさんの写真教室はここでも開かれており、私たちもカメラを持って各家庭におじゃました。住民の80%が失業状態。家々のすぐ脇まで水道管が引かれているが水は通っていない。同じく送電線はあるが電気は通じていない。多くの旧黒人居住区ではアパルトヘイトが終わってもその生活に何の変化も見られないのが現状である。
プロのミュージシャンのボランティア活動によって始まった『アフリカン・ユース・オーケストラ』でバイオリオンの演奏を聴いた。生徒は近くの黒人居住区の子供たちで、すでに3人のプロを輩出している。ピースボートとは1999年からの交流を続けており、これまでにも楽器などを援助物資として届けている。
今回も手荷物として運んだ援助物資を提供し、南中ソーランを披露した。「貧しくても音楽は世界への道を開いてくれる」という大人たちの言葉は、希望と同時に南アの黒人たちが置かれている厳しい状況も伝えている。貧しいながらも生き甲斐を見つけだそうとする子供らと、その支援活動をしている大人たちの姿が、どちらも印象的な交流となった。
(合田)
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