3月2日  ▼歴史街道をゆく4 航海王子の野望/金丸知好(自由文筆家)
軽快な語り口で、難しいと思われがちな歴史の流れを楽しい話に変えてくれる自由文筆家の金丸さん。今回お話しいただいたのは、大人気シリーズ『歴史海道をゆく』の4回目、ポルトガル編。日本の教科書では、喜望峰を回ってインド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマのことばかりが大きく取り上げられる。しかし実はエンリケ航海王子(1394〜1460年)の存在がなければ、ヴァスコ・ダ・ガマの大航海もあり得なかった。
「過去700年もの間、イスラム教徒の勢力に圧倒されてヨーロッパ人は地中海を越えてアフリカ大陸に渡ることすら出来ませんでした。が、1415年にポルトガルは北アフリカにあったイスラム勢力の拠点・セウタを攻め落とします。戦勝に大きく貢献をしたのが当時の国王の三男エンリケでした。黄金、象牙…。セウタで得た戦利品はエンリケに壮大な野望を抱かせます。
1419年、第2回セウタ遠征から帰国したエンリケはアフリカおよびインドから産出される黄金を得るルートの開拓と、アフリカまたはアジアのどこかにあると信じられていたプレステス・ジョアン(キリスト教徒の強大な君主)の国とコンタクトを取って、イスラム勢力を挟撃するというふたつの野望を実現するため、アフリカ西海岸の探検事業に乗り出しました。ポルトガル南部のサグレスに世界初の航海学校を造り、優秀な頭脳と最先端の知識を集めることにより、船の技術を革新的に発展させ、25tクラスのヨットのような帆船程度しか作れなかった技術を、最大120tの「カラヴェル船」の建設ができるまでに向上させました。また、当時のヨーロッパにはたくさんの迷信がまことしやかに伝えられており、例えば『この世界の果ては海の水が沸騰し、人は黒く焦げてしまう』なんていう事が信じられていました。そのため、これを過ぎる者は二度と戻れないという意味で命名された『ノン岬』から先に船を進めることがなかなか出来なかったのですが、エンリケが育てた船長達は、セネガル河口を越えてヴェルデ岬を発見し、西アフリカ航路を開拓していきました。それには「西アフリカの黒人奴隷の売買」という暗い一面をもともなっていましたが…。1460年にエンリケが没した後もポルトガルの探検事業は進められます。そして彼の後継者たちは、アフリカ南端を回航してインドに至る貿易ルートの開拓に本格的に着手するのです」
人間ダーツ
「青空広場」とは、天井がなく天気が良ければ青い空を見上げることができる、気持ちいい船内スペース。名は体を表す快適な場所を使って、モンバサ出航後、立て続けに自主企画を行っているのはピースボートスタッフの吉田護。一言でかたづけてしまえば「下らない」、けれども「笑える」そんな本日の企画内容は「人間ダーツ」。
「的付きの全身タイツを身につけた人間に向かってボールを投げる」という予定だったが、開始直前になって吉田が身につけるには全身タイツが小さいという事実が判明。急きょ、ボールを投げつけるつもりで参加したという堀内幹子さんが、あろう事か全身タイツをまとう羽目に。とはいってもそこは参加者のみなさん、しっかり心得ているというかなんというか、いざ始まってみれば景品の「まんだら屋のとんこつラーメン券」を目指して遠慮なしの様子。ゲーム終了後、「ラーメンをおごるよ」と堀内さんに申し訳なさそうに謝る吉田の姿を見て、「来てよかった」と堀内さんもニッコリで、円満解決(笑)
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