4月24日  ▼楽園の未来/ポカ・ラエヌイ(ハワイ人権活動家)
前回に引き続きポカさんにお話ししていただいたのは、ハワイがアメリカ領となるまでの経緯、それに続いて「独立国家ハワイ」となるためには何が必要なのか?という未来への展望について。集まった人々は真剣な眼差しで話に耳を傾けていました。
「植民地が『独立』するとき、単純に宗主国の人々が領土から離れていくだけでは、宗主国の行政システム、文化、経済などが残存し、引き継がれていってしまいます。果たしてそれが完全な非植民地化といえるのでしょうか?そこで必要となるのが、『復権と再発見』、『苦悩』、『希望と未来への展望』、『共有・協議』、『行動・実践』の5つのステップを踏むことだと私は考えています。
現在のハワイは『希望と未来への展望』のステップにあるといえます。多くの人々がアメリカとの関係を絶ち、独立したいと考えているのですが、では、今後どのような社会にしてゆくのか?非先住民の権利はどうするのか?それらをだれがまとめてゆくのか?ということを考える必要があります。
社会は『軍隊・警察』、『政治』、『経済・環境・社会構造』、そしてその根底に流れる『ディープカルチャー』によって成り立っています。この『ディープカルチャー』こそが、もっとも尊重するべきものです。現在のハワイには、その『ディープカルチャー』に2つのスタイルがあると言えます。1つはアメリカスタイルである『支配(Domination)』、『個人主義(Individualism)』や『排他主義(Exclusion)』。もう1つがハワイスタイルの『相手を尊重(Olu'olu)』、『みんなで一緒に(Lokahi)』、『全てを受け入れる(Aloha)』です。ハワイの環境、司法、経済など全ての重要な部分は現在、アメリカスタイルからハワイスタイルへと移行しようとしています。そうすることで、人々の文化・価値観・伝統が共有されると共に守られ、自分たちのアイデンティティーとして認識できるものが作られるはずです。それこそが『独立国家ハワイ』を築く第一歩なのです。」
ゴーギャンガ見たタヒチ/金丸好知(自由文筆業)
タヒチを訪れたゴーギャンが、そこで見たものとは…ゴーギャンシリーズ2回目の今日は、いよいよクライマックス。
「キャプテン・クックやブーガンヴィルの航海記の影響で、ヨーロッパでは『タヒチ楽園幻想』が信じられていました。 『南太平洋の島々の人々は、古代ギリシャの神々のように、裸で生活している。ビーナスがいる天国』のように考えたのです。
1891年、ゴーギャンは『こんな腐った文明社会にはいられない。自然の美に出会えばもっと良い絵が描ける』と『楽園幻想』を胸にタヒチに向かうのです。パペーテに着いたとたん、ガーン!!フランスのちっちゃな田舎町と同じじゃないか、とショックを受けます。そして絵は売れず貧乏生活。『こんなハズじゃない。ここは楽園じゃない』とわずか2年でパリに戻るのです。しかし1895年にタヒチへ再渡航、そして2度とフランスには戻りませんでした。
当時のタヒチは、フランスの植民地になって50年。がっちりと植民地支配で固められており、タヒチの伝統文化は西欧化されつつありました。つまり、ゴーギャンはタヒチでフランスの植民地支配を見たのです。そしてそれは皮肉にも、南方の楽園を夢見た欧州人がそこに至ることで創り上げた姿でした。
楽園を探す一方で、文明を捨てきれなかったゴーギャン。結局、彼はヨーロッパ人だった。ゴーギャンが思うような『楽園(パラダイス)』はどこにもなかったのです。」
(真家)
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4月24日
▼おまけ▼
今日の海と空(4/24)
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