![]() |
![]() |
![]() |
ピースボートの水先案内人であり、ジャーナリストの筑紫哲也さん(故人)は、ピースボートの旅を、「乗り合わせた個人、ひとりひとりが歴史の証人になる旅」と評されています。その旅の原点は、ピースボートが28年目を迎えた今も変わりません。しかし同時に、どんなに特別な体験をしても、それが行動に変わらないと世界を視た意味はないのです。 そこでピースボートは、旅を通じて世界を学び、未来の国際社会をつくる若者たちを応援するため「旅と平和」エッセイ大賞を創設。旅を通じてあなたがどう変わったのか。また、平和のためにどんな行動をしているのか。あなたの「旅」の体験とそこから得た「平和」への想いを寄せてください。 ![]() 鎌田慧(ルポライター) 旅は人を鍛えるが、船旅は人を変える。大海の上を流れる無限の時間、そのなかを進むちいさな宇宙としての客船。思いがけない出会いがあり、予期することのなかった発見がある。古来、船旅から多くの作品が生まれた。ピースボートが若い才能を引きだすための支援に乗り出す、というのを聞いて、わたしはその成熟を喜び、全面的に協力することにした。 ![]() 伊藤千尋(朝日新聞記者) 人類の歴史の99%は流浪生活だ、と言われる。人は旅することで賢くなった。このエッセイに期待するものは、上手な文章でも華々しい体験でもない。旅で体験したことをどう理解し、社会にどう働きかけているのか、を私は問いたい。平和は作り上げるものだ。平和に向けて、あなたはどんな形で旅を活かしたのか、活かそうとしているのか、を書いてほしい。
ピースボートでは、応募者の個人情報を、入賞結果の発表、応募者への次回企画案内及びピースボートがコーディネートする船旅の案内・研究資料として利用させていただきます。また、入賞された方の個人情報は、ピースボートクルーズを企画・実施する旅行会社(株)ジャパングレイスに対し、旅行手続きに必要な範囲内において提供いたします。今後、ピースボートからの案内を必要とされない方は、お手数ですがお申し出願います。
第8回エッセイ大賞選評
鎌田慧さん(ルポライター) 川崎裕紀さんの『南北朝鮮を旅した私だからできること』は、タイトル通りの内容である。南北朝鮮を見て考えたことが、実践に結びつけられていて期待をもたせる。 軍事境界線「板門店」を南北両側からみれば、たいがい、平和を祈るような気持ちになる。高校生のときに両側をみた19歳の少年にとって、刺激が強かったのは十分に理解できる。 朝鮮半島の平和に、使命感を感じる。そのために、とにかく両国の関係を学習しているうちに、NGO PYONGYANG PROJECTと出会う。とにかく、ちいさいことでもいいから、自分でなにかをはじめようという熱情が、文章によくあらわれている。この実行力を、ピースボートの旅でさらに大きくつよめてほしい、という期待をこめて、大賞とした。 日高夏希さんの『もっと、もっとそのままで』は、スペイン南部のセビリアに交換留学した体験を書いていて、切実感がある。 「チナ、チナ」と声をかけられ、罵倒されることもある。中国人と一緒にされたくない、という自分のなかにある差別意識(優越感)を内省しながら、「チナ」とは蔑称ばかりではない、と気づくようになるプロセスは重要だ。 日高さんもその体験から、アジアと自分、ヨーロッパと自分の関係をとらえ返そうとしている。もう一歩進んだところでの報告を読んでみたい。 小林千夏さんの『笑顔と髑髏』はカンボジア・シェムリアップでポルポト時代の虐殺の跡を訪問してからの行動がテーマである。 ユニークなのは、自分の会社の仕事として、カンボジアのNGOをバックアップしたい、と社内で働きかけるところである。が、まだ具体化はしていないようだ。 伊藤千尋さん(ジャーナリスト) ・「南北朝鮮を旅した私だからできること」の川崎さんは、高校時代に北朝鮮を訪れるという稀有な経験をした。積極的な好奇心を発揮し、多くの日本人が名前を聴くだけで嫌悪する北朝鮮にも飛び込んでいく純粋さは、その一点だけでも彼の人間性の大きさ、可能性を感じさせる。しかも、反対側の韓国にも行った。両側から物事を自分の目で見て判断しようという姿勢はジャーナリスティックな面からも評価に値する。そのうえで使命感を抱き、自ら探した海外のNGOの活動に参加しようとしている。日本国内で「北朝鮮フェスタ」を行うことは相当な困難にぶつかることになるだろう。その結果、めげるかもしれない。性急にものごとを考えすぎるきらいもあり、その点は気になる。だが、この若さで自らのしっかりとした考えを持ち、それを行動につなげている彼のために、さらに新たな道を拓きたい。 ・「笑顔と髑髏」の小林さんは、カンボジアで虐殺跡を見て戦慄し、社会のための活動を考えた。実際に社会貢献を会社に働きかけた。その試みは、入り口に入ったところだ。自ら道を切り開いたことは素晴らしい。ならば、せっかく行い始めた活動をそのまま進めて結果を出すことが必要だ。その方が、いますぐに世界一周の船に乗るよりも自身のためになる。 ・「もっとそのままで」の日高さんは、スペインでの体験から人種差別の問題について考えるようになった。今から35年前の中南米で取材中にさんざん「チノ」という差別言葉を投げかけられたうえスペインで特派員をした私には、彼女の気持ちがよくわかる。めげるのでなく差別をなくす動きに進んだ彼女の行動も評価できる。船で世界中を回って他の差別問題があることを知るよりも、すでに差別問題があることを知ってしまったのなら、まずはそこで深めることが有益だと思う。
第7回エッセイ大賞選評
鎌田慧さん(ルポライター) 今回は残念ながら、「大賞なし」だった。 旅はひととの出会いや発見だが、自分を変えた驚きや発見を書く感性が、読者と共有できる。そのような文章を期待している。 梁衛東さんの『いってらっしゃい』は、アモイへの旅での出会いと発見が、率直に描かれている。そこで、墓碑銘に書かれた一族の歴史を読んで、「朝の風が吹いて、木の葉がさらさらという音が耳の中で響いていた」と感じた。日本の侵略戦争でなくなったひとたちのことを理解し、祖母の悲しみを理解できたのだ。 祖母が憎んでいた日本に留学し、平和を考えるようになる。でも、日本にきてからの、戸惑いなどの感情を書いてほしかった。 北山夏帆さんの『ホロコーストと世界平和』は、一年間のフイランド留学で、隣に住んでいるかつての敵国民ロシア人にクッキングシートを借りに行く、という、フイランド人の日常生活から書き始めているのだが、それとホロコーストが、うまくつながっていない。 ヒダカナツキさんの『平和の絵 戦いの絵』は、いくつかのケースを書いたことによって、散漫になってしまった。もっと「ゲルニカ」こだわってほしかった。 伊藤千尋さん(ジャーナリスト) 今回は応募作品が少なかったが、過去の応募作品と比べて内容はけっして劣っていない。むしろ成熟してきたように思える。さすがに第7回となると、ふさわしい人が応募するようになった。ただ、これまでのように突出して大賞に推したい人はいなかった。いずれも「ぜひ乗せたい」と思わせる点で、いま一歩欠ける。 とくに目を引いたのは中国人の梁さんだ。戦時中の嫌な体験から日本に憎しみを抱く祖母との交錯する思いを書いた。反日運動が根強い中国で日本語を専攻し、さらに「実際に交流する」ことの大切さを感じて日本に留学した点に、過去にとらわれず自分の体験から未来に向かおうとする素直な姿勢を感じる。来日してわずか4カ月でこれだけの日本語の文章をかけるということは、かなり勉強をしたのだろう。そこに真摯な姿勢を確認できる。ただ、彼には少なくともあと1年は日本で学んでほしい。そのあとで世界に羽ばたいてほしい。この若者は、やがて世界をつなぐ役割ができると思う。 日高さんと北山さんは、ともに視点や目的が明確だ。それぞれジャーナリスト、映画監督となれるだろう。ただ、「思い」は強いが、それに向けて何をしてきたか、と言う点で弱い。実績を積んで次回に応募してほしい。
第6回エッセイ大賞選評
鎌田慧さん(ルポライター) 最終選考に残った五編の共通しているのは、出会いによる自己変革を語っていることである。そのプロセスを他者に理解させるためには、自分がどう変わったのか、という記述の率直さが必要になる。磯崎ちひろさんの「母国への旅」は、シンガポールの国際校での歴史の時間に、アメリカ人のクラスメートが発言した言葉にショックを受ける。「日本人がたくさん死んでよかったんだよ。それでようやく戦争が終わったんだから原爆って絶対必要だったんだ」。 それは加害者のアメリカばかりか、日本が侵略した国の被害者にも共通している意見である。磯崎さんの家族にも、広島の被害者がいる。加害と被害との対立する関係を、彼女は「祖父母の国」日本への旅のあと、学校内での被爆展や講演会開催という行動によって結びつけようとする。十七歳の行動と認識に頼もしさを感じさせられた。 ■大賞 磯崎さんは、広島の平和記念館で、展示された資料を読んでいるドイツ人の涙について書いている。「たった一度、核兵器の脅威を知らせるだけで核廃絶に繋がるとは思っていない。ただ、これは大きな一歩なのだ。広島への旅でドイツ人の涙を見たことが、原爆展を実現させることに導いてくれたと思っている。私達の活動は決して無にはならないことを教えてくれた。目の前にある核の悲惨さに感じ入る彼の姿を見たことが、私が諦めずに行動を続けた原動力となっていることは間違いないことだ」出会いを発見に結びつくには、沈潜が必要だが、磯崎さんはさらに行動によって、発見をさらに深化させている。 ■次点 高橋礼さんの「ワタシが私であるために」は、タイトルがわかりにくい。ニュージランドの高校に留学していたとき、握手のあとハンカチで手を拭われたり、生卵をぶつけられたりした。それは中国人とまちがえての差別だった、とわかったあと、アジア人全般への白人の差別意識について考えるようになる。アジアの中での日本人の根拠のない優越感を自己否定し、アジア人意識を徹底できるか、この問いかけはもっと深めてほしかった。 ■次点 免古地容子さんの「教育の分野でできること」。国際交流に語学を役立たせたい、という熱意を買う。 ほかにも、江口怜さんの「日本の境界を巡り、その近現代史を見つめなす」、立岡美佐子さん「空を見上げて」には、好感がもてた。 伊藤千尋さん(ジャーナリスト) 今回の応募作の全般について感じたのは、「思いが空回りしている」ということだ。若者らしい熱意を文章に書き連ねるのはいい。だが、その思いを実現するために何をしてきたし、これから何をしようとしているのか。そこが明確には見えてこない。思いのたけを記すのは、自分の日記でやればいい。他人に共感を呼ぶために必要なのは、言葉でなく行動だ。もちろん行動している人もいる。だが、そのスケールは、主張する言葉と比べてあまりにも小さい。もっと大胆に行動していなければ、世界1周のためにアルバイトしたりポスター貼りしている人の努力には見合わない。 その中で磯崎さんは異色だ。シンガポールの学校で同級生が原爆を正当化している現実を知った。ただ憤慨するのでなく、まず「知の旅」から開始した。広島の平和記念館で見たドイツ人の涙を見て、被爆者支援という行動に走った。それが失敗すると、次は原爆の被害について訴えるよう方針を変え、仲間を募って原爆展を開いた。次は広島ツアーを催そうと燃えている。感動の原点をしっかりと見据え、そこから次々に展開していくやり方はまさにピースボートの行動様式そのものだ。この姿勢はいい。その目でしっかり世界を見て、次の行動につなげてほしい。
第5回エッセイ大賞選評
鎌田慧さん(ルポライター) 平和について考えるとき、ヒロシマ、ナガサキが大きなテーマになる。 いまは、ヒロシマ、ナガサキの風化が心配されるようになったので、この二つの都市の悲劇を忘れてはならない。しかし、戦争をヒロシマ、ナガサキの悲惨だけで語ることもまた悲劇を生む、というのが現代的なテーマである。 加害の歴史を認識しなくては、「国際化時代」などありえない。平和は加害の歴史の記憶をどのように取り戻すか、なくして成立しない。 ■大賞 『あの日の「ありがとう」』大山みちる 米国で直面した現実から考えが深化している。米国では、「パールハーバー」がステロタイプとなっていて、ベトナムやイラクやアフガンの加害が語られないように、加害の歴史を「知らなかったではすまない真実」として、学ぶ時代になったことを告げている。もっとも大事な視点である。 ■次点 『真実を伝える』笛田満里奈 韓国のタプゴル公園の「3・1万歳運動弾圧」の碑を見学したはずだが、韓国人の「おじさん」が説明してくれたことにもっとこだわり、勉強してほしかった。残念だ。筆者の社会的な関心と行動力に期待したい。これからの活動を期待できる。 ■次点 『第三の旅』免古地容子 「日本の子どもたちの多くが、学ぶ意欲も将来の希望も失くしている」現状と公立高校の教員をやめた体験との関連を、もっと突き詰めて書いてほしかった。新しい仕事と生活の報告をこれから書いて送ってほしい。 伊藤千尋さん(朝日新聞記者) 最終選考に残った作品は(1)年齢の割に確かな経験をし(2)言いたいことの内容を本人がはっきり自覚し(3)伝える文章力や構成力もある、点で共通している。一読して感じたのは「みんな文章が上手だ」という驚きと、この賞も回を増すごとに実力のある応募者が着実に増えているということだ。 ひときわ目立ったのが大山みちるさんの「あの日の『ありがとう』」だ。広島の原爆資料館を訪れて「アメリカが悪い」と思ったが、身近なアメリカ人は良い人だ。そのギャップを探ろうと、高校生でアメリカに留学し韓国系アメリカ人の家にステイした。パールハーバー攻撃についてどう思うかを正直に書いて学校側から問題視され、ホストファミリーからも朝鮮半島で日本が行った非道を指摘される。そこから「何も知らない」自分に気付いて韓国語も学び、歴史の真実を知る努力をした。辛い思いをし、それに正面から立ち向かっただけに、「教科書に載らない真実を知りたい」という彼女の言葉には強い力がある。 南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃に尽くしたネルソン・マンデラは、知性を「政治家の言葉をうのみにせず、知的好奇心をもって自ら真実に迫ることだ」と定義した。まさしくその道を歩んでいる大山さんには、しっかりと世界を見てきてほしい。 次点の免古地容子さんは南京の記念館を訪れたなどの体験から、平和を考える出発点は国家でなく個人なのだという点に気付いた。高校教師として今の日本の教育のあり方に強い違和感を感じている。教育という観点から世界を見てまわることが彼女にも、日本の社会にも役立つだろうと確信する。
第4回エッセイ大賞選評
鎌田慧さん(ルポライター) 今回も旅と平和について考える若い人たちに真摯な論文が多く寄せられた。 それぞれの外国旅行の体験を通して、たんに知識を得るという旅の仕方ではない、おたがいを知る、理解しあうことの可能性を重視する文章が多かった。知り合うことによって、たがいに殺し合うことがなくなる、という平和のつくりかたが、若者たちのあいだでごくあたりまえの発想になってきていることを知ることができる。 政府が「国際化」などというまでもない、すでに若者たちは政府の思惑などよりもはるかに深く、独自な交流をはじめている。 ■大賞 「被爆三世」江藤理子 文章が簡潔すぎて、よくわからないところがある。たとえば、15歳で単身渡米した、ということだが、そこにどういうことが伏在していたのか、それがよく分からない。しかし、文章の簡潔さが、書いている事実の背後にある筆者の体験から絞り出されている表現であることを想像させる。文章に漲っている、実践の意欲を買いたい。「私一人では何も変えられない。でも、私は人と人との、小さなプロセスをサポートできる」という自負が、やがて世の中を変える行動につながっていく。そんな予感をふくんでいる。 ■次点 『平和はどこにあるのか』小松洋美 フイリピンの「貧困地区」でのボランテイア活動をしているうちに、豊かさがあると思っていた自分たちの生活よりも、貧しいとおもっていたフイリピンの貧しい地域の豊かさを理解できるようになる。戦争と平和、貧しさと豊かさ、を自分の心の中から見ていこう、という旅へのアプローチは、実践行動を引き出すようになる。 伊藤千尋さん(朝日新聞記者) 最終選考に残った十編を書いた人は海外生活を経験しNGO活動への意欲も強く、すでに自分の人生を見つけている人も多い。一読して感じたのは三点だ。まず、今さらピースボートに乗らなくても、今の人生をそのまま歩めばいいではないかと思った。第二に、みんな論文を書くのが上手であり、第三に、是が非でも船に乗りたいという迫力が感じられない。いちばん肝心な、そこが欠けている。一口で言えば、内容が軽いのだ。「よく書けました、でも、それだけね」という感じである。合唱で言えば、きれいな歌声だ。そんなものはいらない。下手であっても、この歌を聴かさずにはおかないという意志を見せてほしい。さもなければ、高額な渡航費を自分で稼いでいる人の努力に見合うわけがない。 その中で気になったのが、江藤理子さんだ。自身が被爆三世で、中学生のとき平和親善大使としてベトナムを訪れ、高校、大学は単身で米国に留学し、中国を訪れて日本の侵略を調査し、卒業後は米国でNGO活動をする。行動力ある彼女こそ今の道をそのまま歩めばいいと思うが、ピースボートの旅で日米のNGOをともに高める役割を期待して大賞に選んだ。
第3回エッセイ大賞選評 鎌田慧さん(ルポライター) 大賞の安田あゆみさん「あなたに出会えて嬉しい」は、人との出会いによって、こころが柔らかくなっていく自分の体験をよく観察しています。それでも日常にかまけて、また固くなりはじめるのですが、自分の殻をやぶっていこうという姿勢を、外国体験を通して獲得しているようです。「自分が生きていることは、世界とつながっているということだ」という世界観は、これからの活動を期待させます。 次点の山口聡美「朝メシ前の世界一周旅行」は、旅に出るお金がなくとも、世界を感じ、理解し、行動することができる方法が考えられている。その方法で、認識をふかめながらおかねを貯め、世界に出ればさらに人生がひらけてくる。日々の生活から世界を認識する訓練が必要だ。 伊藤千尋さん(朝日新聞記者) 大賞の山本なお子さん「私はもっと世界を愛したい。」は、平和について語るためヒロシマについて調べた。しかし、現地に行き被爆者と会って涙を流したことから改めて原爆を調べ直した。自分の「涙の理由」を考え、世界を愛するために世界を知りたいという明確な目的を持って自らを行動に駆り立てた。知識は感情と融合して力となる。これを出発点として行動に出れば体験となり、体験は自信を生み出す。山本さんがピースボートで世界を見たとき、何に心揺さぶられ、どんな行動につながるのか、今から楽しみだ。 次点の柏倉さん「おばあちゃんとの旅行」は、おばあちゃんを温泉旅行に連れ出した体験を書いた。一見、平和とも世界とも無関係のように見える。だが、平和は身近な個人から語られるべきだ。平和といえば、いきなり国家を語る人が多いが、それは国家のために個人を犠牲にすることにつながる。柏倉さんが優れているのは、おばあちゃんの喜びを原点として身近な人々を幸せにすることを説き、しかも具体的な行動を提案したことにある。 今回は、前回と比べてレベルがかなり高かった。他の応募作からも、自分の海外体験を踏まえて世界に出て行こうとする姿勢が感じられた。あと一歩だ。
第2回エッセイ大賞選評/伊藤千尋さん(朝日新聞記者) 第2回エッセイ大賞の応募作品は、全体として「すてきなエッセイを書こう」という姿勢が顕著で、内容の迫力が感じられませんでした。 ピースボートがこのエッセイ大賞に求めるものは、単なる文学作品ではなく、生きる姿勢だと思います。ただ「美しさ」だけを追い求める文章などは、不要です。文章や表現が下手でも、その内容こそが問われるべきでしょう。次回に期待します。
第1回エッセイ大賞選評「『体験』をどう考えるか」/鎌田慧さん(ルポライター) 第一次選考を経て、わたしの手許にまわってきた、候補作を読むと、旅をしてひとと交流し、自分が変わる体験を書かれたものが多く、若者たちの視線の真っ直ぐさが、頼もしく感じられた。 とりわけ、高校生の椎名知里さんの、「白い国に黒い線、地図の中の×」は、元従軍慰安婦との出会いの体験を通しての、ひとに寄り添って話しを聞き、その痛みを想像しつつ、自分たちのいまの生活を見定めようとする姿勢は、こらからの若者達にもっとも大事な視点だと思う。 中学生の王申冉さんの「平和と『平和』の狭間で」は、修学旅行でのヒロシマ体験を、たんに「見た」だけに終わらせず、深く沈潜して考えるることによって、なにかができるようになる、との思考は、椎名さんと共通する確かさで、両作品を入選とした。 次点としては、桜庭佑里子さんの「旅と平和」、安達茉莉子さんの「平和に届かないと思っている人たちへ」、貫田美喜さんの「世界平和と広島」の三点がある。 応募されたひとたちと今回応募されなかったひとたちの次回の作品に期待している。 お問い合わせは... ピースボートセンターとうきょう 「旅と平和」エッセイ大賞係 〒169-0075 東京都新宿区高田馬場3-13-1-B1(10:00〜19:00、日祝休み) Tel:03-3362-6307/Fax:03-3362-6309/ウェブサイトからのお問い合せはこちら ![]() |
![]() |
---|