パンフレットをでお届け
資料請求

PEACE&GREEN BOAT 2015の水先案内人を一挙ご紹介します

PEACE&GREEN BOAT 2015の水先案内人を一挙ご紹介します
ピースボートの船旅には、国内外から各界の専門家やアーティストの方たちが「水先案内人」として多数乗船されています。ともに旅をする仲間であり、ときに先生役を担ってくれる水先案内人の方々から、さまざまなものを学ぶことができます。

第8回日韓クルーズ「PEACE&GREEN BOAT 2015」に乗船される水先案内人には、日本や韓国、アメリカなどから多彩な方々が参加されます。その顔ぶれをご紹介します。
ピースボートの船旅には、国内外から各界の専門家やアーティストの方たちが「水先案内人」として多数乗船されています。ともに旅をする仲間であり、ときに先生役を担ってくれる水先案内人の方々から、さまざまなものを学ぶことができます。

第8回日韓クルーズ「PEACE&GREEN BOAT 2015」に乗船される水先案内人には、日本や韓国、アメリカなどから多彩な方々が参加されます。その顔ぶれをご紹介します。

笹森恵子【広島被爆者】

PEACE&GREEN BOAT 2015の水先案内人を一挙ご紹介します
米国カリフォルニア州在住。13才のとき広島で被爆。1955年に顔や体にケロイドをおった「原爆乙女」25人が渡米治療を受けたときの1人。治療後帰国した後、1958年に再び渡米し、ノーマン・カズンズ氏の養女となる。米国では病院で看護師として働きながら、原爆の証言活動を続け、退職後も命の大切さを伝える活動にとりくむ。2009年12月、米ミネソタ州ウィノーナ州立大学で名誉博士号を授与される。米国の市民グループ「ヒバクシャ・ストーリーズ」と協力して、米国や世界各地、国連本部などで被爆証言に取り組んでいる。

古今亭菊千代【落語家】

PEACE&GREEN BOAT 2015の水先案内人を一挙ご紹介します
今年、噺家31年目を迎える菊千代師匠。1993年に先輩である三遊亭歌る多さんと共に女性初の真打に昇進。古典落語から創作落語、手話落語、韓国語と日本語両方で繰り広げる二次元落語など積極的に新しい分野を開拓し、国境を越えて幅広く人を楽しませている。師匠ならではの温かみのある寄席は、落語が大好きという方から、寄席に行ったことがないという方まで楽しめること間違いなし。2013年には、子どもから大人まで落語を楽しめる『体験!子ども寄席』(偕成社)全五巻を出版。

若宮啓文【公益財団法人「日本国際交流センター」シニアフェロー、朝日新聞元主筆】

PEACE&GREEN BOAT 2015の水先案内人を一挙ご紹介します
1948年生まれ。東京大学法学部卒。1970年に朝日新聞記者となり、政治部長、論説主幹、主筆を歴任。2013年1月に退社し、公益財団法人「日本国際交流センター」のシニアフェローとなる。慶応義塾大学客員教授、韓国の東西大学碩座教授、ソウル大学日本研究所客員研究員なども兼任。著書に「日韓の未来をつくる」(「韓国知識人との対話」シリーズⅠ、慶應義塾出版会)、「戦後70年 保守のアジア観」(朝日選書)、「新聞記者」(筑摩プリマー新書)、「闘う社説」(講談社)など。1981年に延世大で、退職後の2013年には西江大で韓国語を学んだ。日韓フォーラム幹事、東京・北京フォーラム実行委員。

飯田哲也【認定NPO法人環境エネルギー政策研究所(ISEP) 所長】

PEACE&GREEN BOAT 2015の水先案内人を一挙ご紹介します
京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻修了。原子力産業や原子力安全規制などに従事後、「原子力ムラ」を脱出して北欧での研究活動や非営利活動を経てISEPを設立し現職。自然エネルギー政策では国内外で第一人者として知られ、先進的かつ現実的な政策提言と積極的な活動や発言により、日本政府や東京都はじめ地方自治体のエネルギー政策に大きな影響力を与えている。国際的にも豊富なネットワークを持ち、21世紀のための自然エネルギー政策ネットワークREN21理事、世界バイオエネルギー協会理事、世界風力エネルギー協会理事なども務める。3.11後にいち早く「戦略的エネルギーシフト」を提言して公論をリードしてきた。福島第一原子力発電所事故発生以降は、経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会基本問題委員会委員や、内閣官房原子力事故再発防止顧問会議委員を歴任した。2014年より一般社団法人 全国ご当地エネルギー協会事務総長をつとめ、地域からのエネルギーシフトを進めるために全国を奔走中。主著に『エネルギー進化論』(ちくま新書)、など多数。

菅直人【衆議院議員】

PEACE&GREEN BOAT 2015の水先案内人を一挙ご紹介します
1946年生まれ。1974年、日本の婦人参政権運動を主導してきた市川房枝さんの参議院選挙で事務長を務める。1980年、4 度目の挑戦で衆議院選挙に初当選。1996年1月、橋本内閣で厚生大臣に就任。薬害エイズ問題を徹底究明し、被害者に大臣として謝罪。2009 年、民主党政権誕生で副総理に就任。2010年6月、第94代内閣総理大臣に就任。同年9 月、被爆者に核兵器使用の悲惨さを世界へ発信してもらう「非核特使」を創設。2011年3月11日東日本大震災、福島第一原子力発電所事故が発生。総理大臣として地震ならびに原子力災害対策の陣頭指揮に当たる。同年5 月、中部電力浜岡原子力発電所に対し(東海地震の)安全確保がなされるまで運転を停止するよう要請。同年8月、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)導入を決める。9月2日、首相を辞任。現在、衆議院の「原子力 問題調査特別委員会」メンバーを務めるなど、核兵器も原発もない社会の実現に向けて活動している。

このレポートを読んだ方におすすめ