ICANのノーベル平和賞受賞を受けた川崎哲のスピーチを紹介します(10/9緊急報告会より)

プロジェクト:おりづるプロジェクト
ICANのノーベル平和賞受賞を受けた川崎哲のスピーチを紹介します(10/9緊急報告会より)10月9日の報告会に駆けつけた人々。急遽の開催にも関わらず、被爆者の方々、水先案内人の皆さん、スタッフなど大勢が集った。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞を受け、ICANの国際運営委員を務める川崎哲(ピースボート共同代表)が緊急帰国。10月9日(月)に開催された記念イベントで、スピーチを行いました。急遽行われたにも関わらず、イベントにはこれまでおりづるプロジェクトの語り部としてピースボートに乗船された被爆者の方々や、水先案内人ら50名以上が来場、ともにこれまでの歩みが顕彰された喜びを分かち合い、また今後の核廃絶につなげていく思いを新たにしました。今回は、その中から、川崎哲のスピーチを抜粋してご紹介します。

ICANがノーベル平和賞を受賞した意味

ICANのノーベル平和賞受賞を受けた川崎哲のスピーチを紹介します(10/9緊急報告会より)
ピースボートは、「ヒバクシャの皆さんの声を世界に届けよう」という趣旨で、ヒバクシャ地球一周証言の航海、通称「おりづるプロジェクト」を2008年に始めてすでに10回行っております。これまで合計で170人以上の被爆者の方が地球一周に参加をされて、世界中で数百回の証言会を開催し、おそらく万を超える単位の人に証言を伝え続けてきました。

今回のノーベル平和賞は、北朝鮮の問題やイランの核合意にまつわる動きもあって、核問題が注目されていました。そこで「被爆者」が受賞する可能性があるんじゃないかとは言われていたのですが、結果としてICANが受賞しました。

ICANというのは、世界中で核廃絶のキャンペーンを進めているさまざまなNGOの連合体のことです。その中にはもちろんピースボートも入っています。だから特定のひとつの団体が指定されたというわけではありません。私個人として思うのは、今回の受賞は、核兵器の廃絶に取り組んできた全ての人たちとその運動に対する受賞である、という風にとらえるべきだと考えています。

ですから今日の話の結論を言えば、ICANがノーベル平和賞を受賞したことで、私が「おめでとうございます」と言われるのですが、それは違うということです。私が「おめでとう」と言ってもらう立場にあるのではなくて、ここにいらっしゃる被爆者のみなさんを始め、核兵器のない世界を作ろうと活動している皆さんがもらったということになる。ここにいる私たち一人一人を含めて、みんなが賞をもらったんだということなので、みんなで「おめでとう」「おめでとう」と言い合うという共通理解を作りたいと思っています。

ICANとは何か?

ICANのノーベル平和賞受賞を受けた川崎哲のスピーチを紹介します(10/9緊急報告会より)核兵器禁止条約交渉会議でNGOとして発言する川崎哲(右)
その上で、ICANとは何かについて説明します。現在は100を超える国々から460以上の団体が参加していて、それをパートナー団体と呼んでいます。ICANは何をしてきたのかというと、一つのことだけを繰り返し繰り返し訴えてきました。核をめぐる問題というのはさまざまにありますから、各団体や個人によっていろいろな考え方ができるけれど、そこはそれぞれでやってもらうと。ICANというキャンペーンは、とにかく「(核兵器)禁止条約を作る」ということだけに集中してその実現に向けて取り組んだということなのです。

ICANは、2007年にオーストラリアのメルボルンで始まりました。元々は「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」というお医者さんの会があるんですが、その団体のひとつのキャンペーンとして始まったのです。創設時の代表の方は、ティルマン・ラフさんというオーストラリアの医師でした。

ピースボートとICANが出会ったのは、その翌年です。ちょうどピースボートが100名以上の被爆者を乗せて世界一周をする第一回の「ヒバクシャ地球一周証言の航海」を実施していました。その船がシドニーに着いた時に証言会を行い、そこにティルマン・ラフさんも来られていました。

ティルマンさんとは偶然出会ったわけではなく、もともと打ち合わせをすることになっていました。当時オーストラリア政府と日本政府が協力して、核軍縮に関する国際委員会を立ち上げました。オーストラリアが中心になって、核軍縮の提言をまとめるというものです。委員会をやるにあたって、オーストラリア側から市民社会の声も聞かなきゃいけないということになり、ICANを立ち上げたティルマンさんがオーストラリア側のアドバイザーになりました。そこで日本もNGOのアドバイザーが必要だということで、日本からはわたしがアドバイザーになったという経緯があります。

それでティルマンさんとは「どういう協力ができるか」という点でちょうど打ち合わせをすることになっていたのです。2008年に船がシドニーに着いた時に、ピースボートとしては「こうやって核の非人道性を伝える活動をしているよ」と伝えました。それを知ったティルマンさんは、「ピースボートは被爆者の方を大勢連れて世界中で証言会をやってすごいね」と思われたそうです。

その後、2010年には政府間の核軍縮の委員会が終わります。そのタイミングでティルマンさんから「ピースボートには、ICANに正式に参加してもらいたい」と誘われました。そして私にICANの副代表になってくれという要請がありまして、2010年からピースボートは組織としてICANに参加し、私はICANの副代表の一人となって参加したということになります。

核の「非人道性」が国際的な議題に

ICANのノーベル平和賞受賞を受けた川崎哲のスピーチを紹介します(10/9緊急報告会より)核兵器禁止条約の交渉会議の冒頭で発言する日本被団協の藤森俊希事務局次長(2017年3月27日)
その頃から、世界的にも「核の非人道性」にスポットを当てて、核兵器を禁止しようという動きが起きてきました。たとえば、2010年に国際赤十字が核の非人道性について声明をあげました。それから数年の間に同様のテーマで国際会議が開催され、共同声明があがって核兵器の非人道性が注目されるようになります。その間にもいろいろあるのですが、2015年からは本格的に「法的に禁止しよう」という流れになって今日に至ります。

オバマ大統領の登場もその流れを加速しました。彼が大統領になったのが2009年です。最後には広島にも来ました。オバマさんは実際の政策面では、たいしたことはできませんでした。また、彼が在任中を含めてアメリカ合衆国は最初から最後まで核兵器禁止条約に反対しています。しかし、核を人間の問題として被害に焦点を当てて人道の問題を考えようという流れを作ったという意味では、彼は貢献したのではないかと考えています。

世界の国際会議で非人道性の議論が始められた頃に、ちょうど被爆者がピースボートに乗って世界各地で被爆証言を行うことになりました。 

「核の非人道性」というのは抽象的な概念ですから、なかなか伝わりにくい。でもそれをまさに生身の声として、ひとりひとりの心に響くような形で伝えたのは被爆者の方たちです。ここにいらっしゃる被爆者の皆さんも、ご自身の体験を淀みなく話すのはなかなか大変だと思うんですが、時々言葉が詰まったりしながら、われわれスタッフも少し背中を押させてもらって一生懸命話を伝えて来られた。

ほんの一例ではありますが、例えばメキシコ会議で被爆者で水先案内人であるサーロー節子さんや他にも何人かの被爆者の方がお話をされました。そのとき私は何をしていたかと言えば、被爆者の方のしゃべるスライドの操作をしていました。日本政府は基本的なサポートはしていませんから、証言の準備や通訳などもピースボートをはじめとするNGOがずっとやってきました。今年の3月に交渉が始まった際には、日本被団協の藤森事務局長が話されました。この時の藤森さんの渡航費や滞在費などはみんなでクラウドファンディングで集めた資金です。

こういったことはこれまでの「おりづるプロジェクト」の蓄積の中で、わたしたちが培ってきたものだと思います。こうして実際に被爆者の方が国際会議で証言をするその言葉が、各国の外交官の方々にインパクトを与えるという形がつくられてきたと言えると思います。

こういった流れの中で、オスロ会議、ナジャリット会議、ウィーン会議と3回の国際会議が開催され、各国政府と話し合ってきました。核兵器の非人道性の議論を進めてきたのは、本当に政府とNGOがタッグを組んで協力してやってきたと言えます。

核兵器禁止条約で果たしたICANの役割

ICANのノーベル平和賞受賞を受けた川崎哲のスピーチを紹介します(10/9緊急報告会より)
核兵器禁止条約をつくる中で、ICANは何をしてきたかについてお話します。最初はオーストラリアのメルボルンに拠点がありましたが、2011年以降は規模が拡大してスイスのジュネーブに本拠を置きました。運営は寄付金で行われ、現在はジュネーブに3人、メルボルンに1人という小さな事務局で回しています。それを世界中にある460のパートナー団体がみんなで支えるという形になっている。

それで世界の国々で核兵器禁止条約に参加しようとか、積極的に行動しようとか、そういう働きかけをやっていきました。そのコーディネーションをしているのは、国際運営グループという理事会みたいなものです。これは10団体から1人づつ代表が出て運営するという体制でやっています。私は現在、この国際運営メンバーになっています。

2010年から2012年までは副代表という立場でした。それが2012年からは2014年には3人の共同代表のひとりになりました。そして2014年にはICANの体制が変わり、特定の代表者を置くのをやめようということになりました。それで10の国際運営グループが対等に理事会になって、その元で事務局長以下ジュネーブにいるスタッフが動くというシステムになりました。

でもこれは、けっこう大変なオペレーションなんです。理事会の運営は2週間に1回ほど電話会議をやるんですが、例えば条約の案が出てきたらICANとしてどう提言するかとか議論をするのです。ときには意見の相違もありますし、団体間で得意分野も違います。ICANに入っている他の団体は、法律の専門家の団体や、核の詳しい技術的なことをやっている団体があって、それぞれの立場からそういう分野の知恵を出す。ピースボートや日本の多くの団体は、被爆者の声を世界に伝えることによって核兵器禁止条約を応援してきたと言うことができます。

そういったことをジュネーブの事務局がうまくコーディネートして、コスタリカ政府やメキシコ政府などとやりとしてくれるということになります。そういうことを電話会議で日々つないで、ここまでこぎつけました。

実際に出来上がった核兵器禁止条約の条約には、前文に「ヒバクシャ」とか「核実験の被害者」に対する言及がしっかりと刻まれています。その上で、核兵器に関する活動をすべて禁止し、核兵器廃棄へのプロセスについて大きな道筋を描いているという内容になっています。さらに、核の被害者への支援とか、核で汚染された土地の回復といったことも含まれたものとなりました。

条文に「ヒバクシャ」とか「被害者の支援」という言葉が入ったり、あるいは「いかなる場合も核兵器の使用は禁止する」という強い言葉が入った裏側には、被爆者の方はもちろんですが、私たちピースボートをはじめ日本の団体がその土台を作って貢献したんだと言えると思います。

みんなの努力がノーベル平和賞の受賞をもたらした

ICANのノーベル平和賞受賞を受けた川崎哲のスピーチを紹介します(10/9緊急報告会より)川崎哲、東ちづるさんとピースボートにこれまで乗船された被爆者の方々
そのような経緯から、核兵器禁止条約については本当に特定の誰かがなせる技ではなく、みんなでやってきたということだと言えるんです。
世界中で証言会を実施してきた被爆者のみなさん、スタッフのみなさんの前でお話しますと、被爆者の証言を実施するのは本当に大変なことだったと思い出されます。場作りから何から、約束通りにいかないことばかりで、本当に大変な思いをした人もあちこちにいるんですけど、全体としてはこの5〜6年の中で、「ヒバクシャ」という言葉が世界中に伝わってきました。

各国政府の中でオーストリア政府が最も強く「ヒバクシャ」という言葉を入れようと言ってくれました。それはもちろんオーストリア政府の向き合い方を評価するべきなのですが、その下地をつくったのは私たちの運動だと思うんです。最後に繰り返しますが、今回のノーベル平和賞は、ここにいるみんなの努力が受賞したということになります。みなさんにどうもおめでとうございますと言ってあげたいと思います。ありがとうございました。

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