リサ・サリバンとラテンアメリカ ベネズエラで生まれた平和の芽

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リサ・サリバンとラテンアメリカ ベネズエラで生まれた平和の芽大西洋横断区間で乗船したリサ・サリバンさんは、ラテンメリカの歴史などの見識について話してくれました
第88回ピースボートに水先案内人として乗船した平和活動家のリサ・サリバンさんについてお伝えします。米国、ボリビア、ベネズエラで子どもたちのために活躍する彼女の原動力は人と自然への愛でした。

ボリビアでの生活

リサ・サリバンとラテンアメリカ ベネズエラで生まれた平和の芽講座では、聴衆を巻き込んで複雑なラテンアメリカの歴史をわかりやすく説明しました
リサ・サリバンさんは、1985年に家族とともにボリビアに来る前は特に植物が好きというわけではありませんでした。当時の彼女が直面していたのは「死」でした。当時のボリビアは、毎日多くの子どもたちが病気や栄養失調によって死亡するという状況でした。そこで彼女は貧困のコミュニティで働くことにしたのです。

「ボリビアでの生活は、その後の人生に大きく影響したの」とリサさんが振り返ります。3人の子を持つ彼女は、何もない家の周りを少しずつ変え始めていきました。湖の向こう側には生えていた芝を切り取り、家の周辺に植えました。それまで何かを植える経験のなかった彼女でしたが、3年後には見事に芝生が辺りを覆いました。

植物を植え、育つのを見る。そういった営みが、当時、絶対的な貧困という現状に直面していた彼女の支えとなりました。

スクール・オブ・アメリカの監視

リサ・サリバンとラテンアメリカ ベネズエラで生まれた平和の芽「メキシコの麻薬戦争」についての講座。お面にある顔は、行方不明となった43人の学生たち
リサさんが初めてラテンアメリカを訪れたのは、ボリビアに住むようになる8年ほど前の1977年です。当時は独裁政権と内戦などが社会を覆う恐怖の時代でした。グアテマラやエルサルバドルなどの国々では、市民が「消える」、つまり政府軍に誘拐され二度と見つからない、という事件が多発していました。

それらの国の政府は米国から軍事支援を受けており、自国の軍人を「スクール・オブ・アメリカ(SOA)」という米軍のトレーニング学校に派遣していました。その学校は、殺戮や拷問方法などをトレーニングに取り入れていたことで悪名を轟かせていました。実際、ラテンアメリカの最も残酷な独裁者の多くはこの学校の出身でした。

SOAは国内外からの圧力によって2000年に閉鎖し、2001年に西半球セキュリティー協力機構(WHINSEC)として静かに再開しました。

リサさんは、ラテンアメリカの国々で、米国によって翻弄される人々と一緒に働いた後、米国の草の根活動「SOAウオッチ」に参加しました。その活動は、SOAとWHINSECの卒業生の監視と、WHINSECの閉鎖を目的としています。彼女はSOAウオッチのラテンアメリカコーディネーターとともにラテンアメリカの18ヶ国訪れ、各国の大統領に面会しました。しかし、自国の軍人をSOAの研修に派遣しないと言ってくれたのはたった3ヶ国でした。

WHINSECは現在していますが、そこに軍を派遣する国は減ってきており、派遣されている軍人の90%がコロンビアからです。

SOAウオッチで働くということは、多くの傷ついた人々、拷問された人や家族を失った人々の悲しみや苦しみを自分のものとして考えるということでした。彼女は過去にボリビアで神経をすり減らしていましたが、この活動によってさらに疲弊しました。

リサさんは人生の次のチャプターでは何か「生」に費やしたいと考えました。SOAウオッチでの仕事では、嫌なのもに対して「反対」するという活動になりました。今度は何かを生み出し、自分を満たすことを中心に活動したいと思ったのです。彼女のパッションは平和、地球、そして子どもたちであり、そこから「カイカウリ平和センター」が生まれました。

平和センターの活動

リサ・サリバンとラテンアメリカ ベネズエラで生まれた平和の芽クイズを解きながらラテンアメリカの文化についての知識を深めました
「カウカイリ平和センター」はベネズエラのアンデスの麓にあります。1990年に土地を購入し、サリバンさんは地元の子どもたちと木を植えたり、自然の中で遊びました。センターの考え方は、「オーガニックに育てる」というものでした。

町の子どもたちが美しいものに感謝する余裕がほとんどないということに気づいたリサさんは、積極的に町に住む子どもたちと、センターで活動をする田舎に住む子どもたちとの交流プログラムを開催しました。豊かな自然の中で活動するセンターの目的は、地元の文化を活性化させ、非暴力、リーダーシップ、そしてコミュニティーに価値を見出すことです。

リサさんは言います。「ベネズエラの食料はほとんどが輸入されている。良い土壌があるのに、簡単に現金収入の得られる仕事を求めて、多くの人々が田舎を離れた。食料の自給という考えが忘れ去られてしまいました」。センターでは、ベネズエラ本来の伝統農法「コクノ」を使い、小さく、持続可能な稲作や田畑の栽培を行っています。

また、木を植えたら、子どもたちの名前をつけて大切にしています。平和センターには500本もの木が植えられおり、そのほとんどが果物の木ですが、最近では、薬用の木の植林も考えています。

平和センターは、人々が集まり話し合いができる場も提供しています。最近、18ヶ国のラテンアメリカの国々から若者を集め、軍縮についての話、そして彼ら、彼女らの国々の将来について議論をする会を開きました。この平和センターは人々が一緒になってポジティブな変化を生み出す安全な場所を提供しています。「そこはまるで小さなピースボートのようなの」とリサさんは言いました。

音楽とともに

リサ・サリバンとラテンアメリカ ベネズエラで生まれた平和の芽シャーロックホームズに扮装したリサさんは、メキシコの麻薬戦争の謎に迫ります
リサさんが、もうひとつ情熱を傾けるものがあります。それは音楽です。そもそも彼女がラテンアメリカに魅了されたのは、音楽がきっかけでした。20年もの間、彼女はベネズエラのギター「クアトロ」などを使い、町の子どもたちにアフロ・ベネズエラの音楽を教え続けています。

「音楽を通して子どもたちに自信がついていくのが感じられます。学校であまり活躍していない子どもたちの中には、音楽の才能に長けた子どもが比較的多くいるのです。その才能を発掘することはとても楽しいのです」。彼女はセンターでの活動にやりがいを感じていると話します。

リサさんは、アフロ・ベネズエラ音楽などの文化を普及させるために、「サン・ホァン文化活動」を設立しました。彼女自身もベネズエラに来てから習得したクアトロを、今は子どもたちに教えています。「学んだことは周りに教える」という事をモットーに、子どもだけでなく、家族やその他彼女の周囲の人と共有し、友情を築いています。

光と闇

リサ・サリバンとラテンアメリカ ベネズエラで生まれた平和の芽ベネズエラのクアトロを演奏するリサさん。参加者と一緒にネズエラの音楽を歌いました
リサさんは、講座の中でラテンアメリカの光と闇を丁寧に話してくれました。歴史を見ると、豊かな資源や人材を持つラテンアメリカは、スペインの植民地支配後は、米国の影響下に置かれて、独裁政権のもとでコントロールされてきました。民主的な動きをことごとく封じられた国々では、たくさんの悲劇が繰り返されたのです。

一方、ラテンアメリカの光もたくさんあります。温かい人々、豊かな自然、陽気なリズム、そして音楽。リサさんが魅了された音楽は、ただ楽しむだけではなく、人々が解放を望み弾圧に立ち向かうための応援歌として、ラテンアメリカの民主化への歩みに大きく貢献したのです。リサさんは運動で歌われた有名な曲の一つをピースボート参加者に紹介し、皆んなで演奏をしました。

♪~
No no nos moveran 私たちは動かない
Unidos en la lucha, no nos moverán  闘いの中でも団結して、私たちは屈しない
como un árbol firme junto al rio  川にしっかりと根を張って立つ木のように ....

長年ラテンアメリカに関わり続けるリサさんの活動は、常に人と自然への愛が根底にありました。ピースボートでたくさんの平和の種を撒いたリサさんは、次のような言葉で参加者を平和センターに招待しました。

「植物を植え、歌を歌い、遊ぶ。平和センターでは、あたの心を開き、視野を広げます。そして魂を解放するのです」。

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