太平洋の核被害者が交流・第90回ピースボートが帰港しました

プロジェクト:おりづるプロジェクト 寄港地エリア:太平洋 クルーズ: 第90回 地球一周の船旅
太平洋の核被害者が交流・第90回ピースボートが帰港しました太平洋ピースフォーラムのメンバー
3月30日、タヒチやマーシャル諸島など核実験場となった南太平洋諸島を訪れた第90回ピースボート地球一周の船旅は、横浜大桟橋ターミナルに帰港しました。ピースボートは、福島原発事故から5年、チェルノブイリ原発事故から30年という節目を迎え、このクルーズの太平洋上から福島、タヒチ、マーシャル諸島の核被害者が集う「太平洋ピースフォーラム」を開催しています。当日行われた帰港記者会見では、船上や寄港地で行われた交流の様子や、核被害をなくすためにどのようにつながることができるかについて、船旅に参加したそれぞれの方が思いを語りました。

子どもたちにも被爆の影響が出ているのは許せません(タヒチ)

太平洋の核被害者が交流・第90回ピースボートが帰港しましたミッシェル・アラキノさん
ミッシェル・アラキノさん(55歳・タヒチ、元核実験労働者、「モルロアと私たち」)メンバー)

私は核実験上で働いていた元軍人ですが、現在は平和主義者になっています。2001年から「モルロアと私たち」という核実験被害者の活動に参加して、証言するようになりました。タヒチの核実験の最大の問題は、被爆によって人体にどのような影響があるのかという情報を、現在でも公開していないことです。それどころか、私のように証言をするだけでも非難されたり、制裁を加えられることもあります。

私は被爆の影響によって内臓や骨への影響が出ています。でも私だけだったらまだいい。子どもたちへの影響は許せません。私の息子たちには被爆の影響だと思われる病気が出ています。

船上で佐藤健太さんとお話して、放射線による人体への影響は、核兵器でも原発でも共通していることがわかりました。私たちがタヒチで50年間経験してきたことと福島で起きていることは非常に似ていると感じています。

※タヒチ島を含む仏領ポリネシアでは、フランスによる核実験が1960年から1996年まで計210回実施された。

世界は私たちのことを忘れていると思っていた(マーシャル諸島)

太平洋の核被害者が交流・第90回ピースボートが帰港しましたブルック・タカラ・アブラハムさん
ブルック・タカラ・アブラハムさん(40歳・マーシャル諸島、NGO「エリモングルック」)

私は米国で生まれ育ち、2006年にマーシャル諸島共和国に移住しました。エニウェトク環礁の男性と結婚し、子どももいます。2013年に、夫とともに住民にこの問題を啓発するための団体を設立しました。環礁に暮らす子どもたちの未来のために行動を起こさないといけないと思ったのです。

エニウェトク環礁での生活は、交通も通信も、手に入れられる物資も、すべてがごく限られています。被爆の影響は子どもたちにも出ていますが、住んでいる環境がそんな状況なので、世界の人たちは私たちのことなんてもうすっかり忘れてしまっていると感じてきました。

ところが今回、ピースボートに乗船して、それぞれ核の被害を受けた方たちが声をあげて活動していることがわかり、勇気をもらいました。未来の世代のために、同じ志で行動する仲間がいることを知って、私はより強くなれたと思っています。

※1948年から1956年にかけて、エニウェトク環礁やその隣にあるビキニ環礁では米国により67回の核実験が行われた。

核をめぐる情報公開がなされるべき(マーシャル諸島)

太平洋の核被害者が交流・第90回ピースボートが帰港しましたデズモンド・デューラトムさん
デズモンド・デューラトムさん(29歳・マーシャル諸島、『マーシャル群島における放射能の影響を人類に伝達する運動(REACH-MI)』創設メンバー)

私はまだ20代ですが、若い世代として歴史的な視点からマーシャル諸島で繰り返された核実験の問題を捉えなおす必要があると考え、NGOを設立しました。マーシャル諸島では合計67回の核実験が行われ、4つの環礁に大きな影響を与えました。

私はピースボートへの乗船を通して、放射能による被害の共通点を知る事ができました。他の地域の話を聞いて私が感じたことは、いずれも透明性が確保されていないということでした。説明責任がされないし、情報へのアクセスが許されないというのは重要な問題です。私たちは、自分たちの状況を改善するための情報を手に入れる必要があります。

太平洋の島々と飯舘村で起きていることは共通している

太平洋の核被害者が交流・第90回ピースボートが帰港しました佐藤健太さん(中央)と高瀬毅さん(右)
佐藤健太さん(34歳・福島県飯舘村出身、NPO法人 ふくしま新文化創造委員会代表理事、負げねど飯舘!! 常任理事)

タヒチとマーシャル諸島を訪れて、共感できる部分がたくさんありました。放射能による被害に加え、いつまで続くかわからない避難生活、文化の喪失、除染、補償や賠償などについてです。特にマーシャル諸島では、放射能で汚染される前は豊かな自然環境で暮らしていた人々が、強制的に故郷を離れなければならなくなりました。それは飯舘村の状況と同じで、とても他人事とは思えませんでした。

明日から飯館村をはじめとする福島の警戒区域に、皆さんをご案内することになっています。その後、南相馬市と福島市で交流を行います。福島の実情を実際に見ていただき、それぞれの課題を共有しながら、太平洋の3つの国が繋がって活動していくことができればと思っています。

高瀬毅さん(61歳・長崎被爆2世、ノンフィクション作家、『ブラボー 隠されたビキニ水爆実験の真実』著書)
私はこれまで、マーシャル諸島での核実験について本を執筆するなど、自分なりには調べてきたつもりでした。しかし今回、タヒチやマーシャル諸島を訪れて、初めてわかったことがたくさんありました。

印象に残ったことの一つは、タヒチには、核実験による被害を伝える博物館すら作れないことでした。タヒチの人に、ここで何が起きたのか知らせる方法がないのです。日本の人々には、このような点で協力ができるのではないかと思っています。 

核被害というものを広島・長崎だけではなく、この広い太平洋で何が行われてきたのかという視点から捉え直すことが大切だと強く感じました。

広島・長崎を上回る「グローバル被爆者」はまさに現在の問題

太平洋の核被害者が交流・第90回ピースボートが帰港しました三宅信雄さん
三宅信雄さん(87歳・広島被爆者)

私は、広島で地獄を体験しました。それから71年が経ち、日本では被爆という問題が風化しつつあります。そして広島と長崎の被爆者は、現在20万人以下に減っています。

しかし、核被害という意味では広島・長崎で終わったわけではありません。今回訪れたタヒチやマーシャル諸島など、核実験という形で被害は続いてきました。世界を見渡せば、核による被害者は300万人以上いると言われています。いわゆる「グローバル被爆者」です。

これは広島・長崎の被爆者をはるかに上回っている。核の脅威というのは過去の問題ではなく、まさに現在の問題です。この人々とつながって、人間の力では制御できない核の恐ろしさを語り伝えることを続けていきたいと思っています。

※タヒチとマーシャル諸島からのゲストを含む一行は、福島と東京でシンポジウムと意見交換会を行います。詳しくは、関連記事をご覧ください。

太平洋ピースフォーラムの成果

太平洋ピースフォーラムでは「声明」しと「5つの提言」をまとめました。それぞれ、日本語、英語、フランス語版があり、以下からダウンロードできます。

インフォメーション

ピースボートの活動
PROJECTS