人生を変える出会いから、地球一周、そして長崎へ(ユース非核特使:鈴木慧南さんエッセイ)

人生を変える出会いから、地球一周、そして長崎へ(ユース非核特使:鈴木慧南さんエッセイ)
ここでは、第8回おりづるプロジェクト(第87回地球一周の船旅)に、ユース非核特使として乗船した鈴木慧南(けいな)さんの寄稿文を紹介します。現在22歳の慧南さんは、大学で核問題に取り組むサークルに所属し、専門家や他団体と協力しながら学習会や被爆者の証言を語り継ぐためのイベントなどを積極的に企画しています。また、現在は長崎で被爆証言の聞き取りなどにも取り組み、それを卒業論文のテーマにする予定にしています。(以下本文)

※ユース非核特使
被爆者の体験を継承し、国際社会に訴える若い世代に対して、日本政府(担当は外務省)が委嘱する制度。

人生を変える大きな出会い

人生を変える出会いから、地球一周、そして長崎へ(ユース非核特使:鈴木慧南さんエッセイ)ともに地球一周をしたおりづるプロジェクトのメンバー
今年の4月から7月末にかけて、ピースボート 第8回「ヒバクシャ地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)」に、8名の被爆者と、私自身を含めたユース非核特使3名とともに乗船しました。

世界19ヶ国25都市での証言活動のお手伝いをするこの船旅は、私の人生にとって大きな岐路となりました。

もともと原爆や戦争について関心はありましたが、広島と長崎について強い興味があったわけではありません。どちらかというと、難しいことは避けて通りたいタイプの人間でした。ですが、大学に入学したときに所属したサークルがきっかけでこういった問題に関心を持つようになります。

このサークルでは夏合宿として、毎年広島長崎の平和式典に合わせてフィールドワークを行っています。そこで、私は初めて「被爆者」と呼ばれる方に出会いました。この方こそ、その後の私の人生に大きな影響を与えることになる田中安次郎さんでした。

田中安次郎さんの被爆体験

人生を変える出会いから、地球一周、そして長崎へ(ユース非核特使:鈴木慧南さんエッセイ)田中安次郎さん(左)と鈴木さん
安次郎さんは、わずか3歳の時、爆心地から3.4km、長崎市内の路地で遊んでいたときに被爆しました。猛烈な青白い光と爆風を受けて、生き埋めになった泥の中から助け出されたそうです。

彼は言います「ものすごい光。空は見たこともない紫色でした。家の窓ガラスは飛び、なぜかタタミが立っていました。近所のお姉さんが顔に大ヤケドして、お母さんが泣きながら看病していました。途切れ途切れですが、はっきり憶えています。」

そんな経験と記憶を「心のどこかに隠そう、忘れようという気があったかもしれない」とも話し、仕事をしていた頃は怖くて健康診断にさえ行かなかったそうです。

彼も多くの被爆者と同じく、被爆者だからと差別され、放射能の影響による病気への不安も抱えて生きてきたのだと、心にドスンと重いものを感じました。

でも、彼の被爆証言は他の語り部の方と少し違った印象があるのです。彼の言葉を聞いた人は、そのほとんどが最後には笑顔になって、写真を一緒に撮ったり、お友達になって帰っていきます。彼の講話で心が痛くなることももちろんありますが、その心の重みが最後まで続いたことは一度もありません。

何が違うのだろうと思い、彼に尋ねてみたことがあります。すると、「僕が話をするのは未来のあなたたちのため。未来はきっと明るく希望に溢れている。その未来の話をするのに、どうして僕が暗く話さなきゃいけないんだろう。

きっと明るく話したほうがそういう未来になるよ」と言っていました。「平和の原点は、人の痛みを分かる心を持つこと。たったひとつの命だから、人にも自分にも優しく生きていこう」と呼びかけるのです。

私も安次郎さんの言葉一つ一つに感化され、将来、過去と未来へ繋ぐことのできる人になりたいと漠然と考え始めるようになりました。

また、彼がふとしたときに見せる悲しい表情を何度か見たことがあります。「最近よく友達が亡くなるんだ」と悲しく空を見上げて話してくれたことがありました。なぜ、彼が悲しまなければいけないのでしょう。

私には寿命を延ばすことはできません。しかし、彼の力になって寄り添い、彼が思い描く未来を一緒に作っていく手伝いをすることはできると思いました。その具体的な一歩として、私はピースボートのおりづるプロジェクトに参加しました。

過去と未来を繋ぎたい

人生を変える出会いから、地球一周、そして長崎へ(ユース非核特使:鈴木慧南さんエッセイ)腹話術を使って被爆証言を行う被爆者の企画を手伝う鈴木さん
2015年は、日本にとって先の大戦から70年という節目の年です。そのこともあってか、多くの都市で証言会を行うことができました。

子どもたち、大学生、市長、国連関係者、平和活動家、外務大臣、文部大臣、大統領など、幅広い人々に「声」と「想い」を直接伝えながら旅をしてきました。

証言会の回数が多いので、被爆者の方も何度も何度も自分にとっての「あの日」のことを言葉にしていきます。

きっと語り部になられてから何度も何度も、「あの日」の話をしていると思うのですが、彼らは思い出しながら言葉を紡ぐたびに、時に涙を流し、時に言葉につまり、そして痛みを抱えながら、それでも語り続けていました。

船旅を一緒にした被爆者のおじいちゃんは、当時の情景を思い出しながら証言をするとき、必ずお父さんが亡くなった場面で涙を流し言葉に詰まります。

言葉が言葉にならず涙があふれてきて、それを聞いている人たちはその言葉にならない言葉を自分の心で理解しようとします。またある被爆者のおじいちゃんは、生きたくても生きられなかった女の子の話をするときに涙ぐみます。

話を聞いている人たちが、ちょうど亡くなった女の子と同じくらいの年の時は、特に言葉につまります。思い出して、過去と現在を重ね合わせているのかもしれません。「もしあの時原爆が落ちなかったら」「もしあの時戦争をしていなかったら」と。語ること、過去を紡ぐということは、それほどまでに辛いのです。

なぜ彼らはそこまで辛くて苦しい思いをしながら、言葉を残そうと必死になっているのか、そこまでして彼らが得られるものは何なのだろうか、とふと考えることがありました。

ですが、今まで私の出会った被爆者の方は口をそろえて言います。「あなたたちにはもう二度とこんな経験をしてほしくない」という想いだけが語る理由だと。そうしてまた言葉を紡いでいきます。

しかし、70年前に想像できないほどの残酷な経験をしたのであれば、その後の人生は自分のために生きてもいいはずです。語らない方が、思い出さない方が幸せなことも時にはあるでしょう。

私ですら、自分に起こった悲しいことを思い出して誰かに話すのは、はばかられる思いがあります。でも彼らは自分のためではなく後世のために、言葉を残そうとしているのです。

大切な今を私たちのために生きてくれています。「誰か」のために命を燃やしているおじいちゃんとおばあちゃんは、最高に「かっこいい」です。だから私はその声に応えたい、そう強く思います。

証言の航海を終えて、今。

人生を変える出会いから、地球一周、そして長崎へ(ユース非核特使:鈴木慧南さんエッセイ)船内企画で話をする鈴木さん
私は、船を降りてから来年(2016年)4月までの8ヵ月間を、長崎で過ごすことにしました。地元横浜での勉強ではなく、限りある時間をなるべく多く被爆者の方に寄り添いたいと思ったのです。

長崎では今、私がこの問題に関心を持つきっかけとなった田中安次郎さんの後を、ぴったりとくっついて講話のお手伝いをしています。

子どもたちと同じように話を聞いて、聞いている人たちがどういう反応をしているのかを書き留めています。聞く人が何に敏感に反応して、何に気づきにくいのか、それがわかるだけで話し方はずいぶん変わってくるものです。

とにかく、たくさんの時間を一緒に過ごす、ということを心がけながらお手伝いをしています。

彼はたくさんの美しく、そして聞き手に響く言葉を持っています。それはまるで魔法のようで、私もそれに魅了されました。小学生に対して、中学生に対して、社会人に対して、同じことを伝えたくても選択する言葉は異なってきます。

彼はそうして異なるタイプの聞き手をそれぞれ虜にしていきます。しかも、被爆や戦争といった悲惨な話をしているのに、なぜか見えないパワーと希望と勇気を分けてくれるのです。

彼は講話で、最後に決まって宿題を出します。答えが決まっているものではありません。生きていく中で見つけてほしい、とそう思っているのだと思います。

その宿題とは、「『たったひとつの命だから』という言葉の後に続く言葉を考えてみてください」というものです。その人しかない命をどうやって生きていくのか、それを考えて自分で答えを出すことが平和への一歩だと彼は言います。

安次郎さんから宿題をもらった私は、「わたしの命はどうやって燃やそうか?」と考える時間が多くなりました。長崎で日々を重ねて、被爆者の方と時間をともに過ごし、私の答えは間違っていなかったと思っています。

「たったひとつの命だから」という宿題に対する私の答えは、「大好きな人たちと笑って泣いて人間らしく生きていきたい」というものです。

70年前、たった2発の原子爆弾によってたくさんの命が失われました。きっと、もっとやりたいことがあったでしょう。もっと生きていたかったでしょう。

そんな人間らしく生きることも死ぬことも出来なかった、地獄のような日々を生き抜いた彼らの言葉は、後世に残す価値のあるものです。彼らの言葉は、「当事者」の言葉であると同時に、私の大好きな大切な人たちの言葉でもあります。

私は彼らの笑顔を思い浮かべながら今、この文章を書いています。いつか彼らがいなくなってしまうことが寂しくて、どうして彼らが傷つかなければならなかったのかと悔しくて、いろんな感情で心がいっぱいになり、自然に涙がこみ上げてきます。

私には、特にこれといった特技はありません。身体を使って表現をすることもできなければ、何かを創って違う形で伝えるような才能もありません。

ちっぽけな私が持てる最大の道具は「言葉」だけです。私はありふれた言葉を使って、聞き手の心に響くように過去と未来を繋いでいける人になりたいと思っています。それが私たちに懸命に語ってくれている彼らへの恩返なのです。

                                                      鈴木慧南

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